留学生とドラマ

私たちの大学にはアジア神学コース(ACTS-ES)という留学生のためのプログラムがある。英語による授業を行っているが、彼らは色々な意味で大学にチャレンジとインパクトを与えてくれる。全寮制をもって寮教育も行っているが、文化の違う学生たちが一つ寮で生活するということ、それ自身毎日が異文化ショックとの戦いでもある。異文化ゆえの日本人学生たちとのコミュニケーション・ギャップからくる軋轢や多文化ゆえの留学生同士の誤解もあるが、そのような違いを越えて異文化理解を身につけるすばらしい場とも言える。

私たちの大学には毎日チャペルがあるが、その活性化を図ろうと「チャレンジチャペル」と銘打って、この留学生にもチャペルを月1回担当してもらっている。先日のこと、何と彼らは通常のチャペル形式を打ち破る「ドラマ型チャペル」を展開した。その内容は、「ひとりひとりが、神の大切な作品であり、それぞれに賜物を頂いている貴い存在であるから、特に、目立たない、あるいは、役に立ちそうもないと思われる人こそが、実はとても大切なのだ」という聖書のメッセージをドラマ化して私たちに示してくれたのである。しかも、日本人の学生を用いて、「吹き替え」というすばらしい知恵を働かせて、日本語で上演した。プロテスタントの礼拝では説教が主流で大切であるが、そのメッセージに即して、留学生がそれぞれの賜物をまさに用いてそれを実演してみせる、まさに「見せる説教」であったと言える。彼らのチャレンジが心に迫る。

「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」                  (1コリント12:22)