自分探し

2007年の最長9日間にわたる大型連休が終わる。今年の連休は何かと話題が多いものとなった。まず、4月29日の「みどりの日」が「昭和の日」となり、5月1日の「メーデー」に向って、格差と競争社会での生きづらさを味わっている人々の変革を求める「声」が上がった。そして5月3日は、日本国憲法が「満60年」を迎え、つづく5月4日が「みどりの日」となった。

連休明けには「五月病」がやってくると言われる。主に大学の新入生が新しい環境に入って1ヶ月が過ぎる頃、その環境への適応ができず疲れがピークに達して精神的に気力が失せてしまう症状といわれるが、そこでは、「自分探し」が始まる時でもある。自分の存在意義とその使命を模索し始める。これは個人のレベルにとどまらない。今日、少子化の中で、「大学」自体が、自分探しを始めている。「建学の精神」と大学の使命をいよいよ鮮明にして、その存在意義を社会に示す必要があるからだ。さらに、日本国憲法満60年の今年、憲法改正論議が盛んであるが、これも「日本国」の自分探しの模索に他ならない。日本を取り巻く国際情勢の変化とグローバル化という今日の世界に対して、「民主主義、平和主義、国際協調主義」などの特徴を備えた現憲法に謳われている「国のあり方」の再検討が叫ばれているところだ。

「自分探し」の一方で、「われらを探される方」の存在に、気づかされる。聖書によれば、人間が創造主に背を向け、「自分勝手な道」に歩み出したその時から、「あなたは、どこにいるのか。」と人に呼びかけられる方がいる。個人としても、大学としても、また、国においても、「かけがえのない人」あってのものである。理念やビジョンも大切である一方、「用いられやすく、頼りがいがあり、喜んで仕える人」こそ、そのお方が、社会のあらゆるレベルで探し求めておられるのではないだろうか。

「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。・・・ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)