こんな楽しい授業があるよ(その1):恐るべしO村先生!!

キリスト教福祉学専攻が4年間かけて介護福祉士資格の習得を目指すのは、単に資格を取らせるためではなくリベラル・アーツ教育、つまり幅広い教養と総合的な聖書・神学の基礎としたキリスト教福祉を学んでほしいからである。
振り返ると、私の中学・高校時代は勉強と全く縁のない生活であった。さらに就職も勉強とは無縁の世界だ。しかし、そんな私を神様は許さない。社会は勉強無縁の私に容赦ない厳しい生活を要求してきたのである。
40歳になってやっと重い腰を上げ、通信教育の大学、夜間の大学院へと進んできた。しかし、今でも自分に自信がないのはなぜなんだろう?一応、大学院を出たから学歴は?あるよなぁ… それでも何かコンプレックスがあるんだよねぇ。なぜ…?
私には教養がなかったのだ!!(リベラル・アーツ教育に私の出番はありません)
TCUの教員は学生にだけ汗をかかせてはいない。不公平でしょ!
TCUでは、良い教育を提供するために、一昨年は半年間にわたる勉強会、昨冬は教員同士の授業評価を行ってきた。そして、今後もさらに授業評価が続くそうだ。(誰か助けて…)
ここで、昨年12月に授業評価に入らせていただいたO村先生の授業の様子を少しおすそ分けしたい。
この授業は「思春期の文化と伝道」である。神学の授業見学は初めてなので、私の想像するイメージとしては「礼拝のメッセージを聴くんでしょ?」みたいな感じであった。
しかし、今回は学生によるプレゼンテーションらしい。「へーえ、どうせまた難しいことを調べてきたんちゃうの?」「おもろいんかいな…」(私、関西の出身です)、たまに意見を振ってくる輩もいるので、「突然振ってこえへんやろなぁ…」などと不謹慎なことを思っていたら…
最初の発表は「嵐の人気について」だそうだ。えっ?ナニ?ア・ラ・シ??
本当に「嵐」の発表をしているじゃないか。次は「バイク?」その次は「モンハン?」そのまた次は「タ・カ・ラ・ズ・カ??」何これ?こんな授業をする人がいたのだ。想定外である!
TCUに赴任し1年半が過ぎた。学生は基本的に寮生活だからテレビを見る者は稀のようである。映画の話も興味がないみたいだ。「神様だけ?」「この世の楽しみは?」「一般の人に伝道できるの?」と思っていた。しかしそうではなかったのだ。リベラル・アーツ同様、文化についても教養がなかったのは私のほうだった(日本の文化も出番はありません)。
O村先生は、アメリカで20年以上生活をされていた先生である。「すごく勉強してきた人なんだろうな」、「何となく雰囲気がある。」、「チャペルで横に座られたら居心地が悪い」など勝手にO村像を造りあげていたが、モーハンもタカラズカも完璧についていけるしバイクもアメリカのフリーウエイでは怖いもの知らずだそうだ(それもノーヘル。あっ?アメリカならいいのだった)。勉強も現在の文化もOKだ。スーパーティーチャーである。(リベラル・アーツ教育はこういう先生がおられるからいいのだなぁ。すみません、O村像が変わりました。今後もよろしくお願いします!)
さて、私の授業評価だが、N岡先生が見学されるため入念に準備をし、学生にも打ち合わせをし「もうすぐ来られる」「もうすぐだ」と待っていた。しかし… その日には姿を現わされなかった。
後日、見学に来られた時の結果が××だったことはいうまでもない。(中澤秀一)