「聖徒たちの死」

今夏の終わりに従姉が召された。同じ年で小学校から中学校まで同じ学校に通い、小学校ではずっと同じクラスであった。また、住まいも近く、幼友達でもあった。彼女は上京して郵便局に勤めたが、大学生であった私は、そんな彼女をある時当時通っていた教会に誘った。それからというもの彼女は度々教会に足を運び、礼拝や交わりに参加するようになった。しかし、その後、彼女がキリストを信じる信仰を表明して洗礼を受け、教会員となって忠実に教会生活をしたかというと、そうではない。私が大学を卒業し大阪で仕事をするようになり、彼女と疎遠になったこともその要因としてあるかもしれない。しかし彼女は結婚後もキリストへの関心をずっと示していた。そんな彼女が生前近親者に話していたことは、「葬儀をキリスト教式でやってほしい」ということであった。

彼女の葬儀には出席できなかったが、11月中旬に行なわれた彼女のキリスト教納骨式に集うことができた。私たち夫婦以外親戚にはキリスト者がいない中で、彼女は自分の死を通してキリスト者の死の意味とその復活の希望を証ししていた。まさに、「死をかけた証し」に私は深い感銘を受けた。それが彼女にできる精一杯のキリストへの信仰表明と希望であったことを思う。納骨後の会食で、彼女の妹や弟と話すことができたが、彼らの心に姉の思いと志がしっかりと受けとめられていると感じた。「姉の最期における静かなる平安とキリストへの希望が無言のうちに伝わってくるようで、このような人生の締めくくりがあるのかと深く思わされた」という感慨深いことばを弟から聞くことができた。

神学校時代の恩師が11月26日の深夜、81才で天に召された。突然のことで驚きである。10月29日に本学で創立記念講演をしてくださったばかりである。それが「遺言」講演となるとは。大学と併設されている神学校の創立から学生として、また、教員として日本の神学教育に「心血を注いで」来られた先生である。「日本文化とキリスト教」の関わりを徹底して求め、日本人の心にキリストを映し出そうと懸命であった伝道者、牧会者、神学者である。先生については多くを語るまい。これを読んでくださる方々は、先生をよくご存知だから。先生の指示で葬儀はされず、献体を希望されていた。ある意味、先生は「いのちをかけた証し」を、戦後ずっと伝道・牧会、神学教育と執筆活動を通して、なして来られた。いわば、私にとって対照的な二人のキリストにある聖徒たちの死は、重く深く心に迫ってくる出来事である。「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」(詩篇116:15)