「余震と復興の間で」

「東北地方太平洋沖大地震」から1ヶ月、「東日本大震災」の爪痕はあまりにも無残である。大震災の全貌が明らかになってきた。犠牲者や行方不明者が2万8千人を数え、避難者が15万4千人にも上る。被災者の方々の心痛にことばもない。本学では震災後、学園ボランティアセンターを立ち上げるとともに、学生たちが進んで救援活動に動いた。まず、地元の旭市や山武市、茨城のひたちなか市の清掃や水パック詰め等の活動に始まり、3月23日からは仙台に向け、日本飢餓対策機構(JIFH)や現地の教会のもとでの活動が始まっている。すでに第5陣まで派遣されている。ボランティアメンバーは毎回5-6人で6日間位の活動となる。これまで東松島、南三陸、気仙沼などで家庭への物資の届け、家屋の泥出しと片付け、瓦礫の撤去などの手伝いを行なっている。

私もこの4月8日にボランティア第5陣を連れて気仙沼に行き、先発の第4陣の面々と合流して、JIFHのもとで気仙沼第一聖書バプテスト教会(嶺岸浩牧師)の瓦礫の撤去作業を手伝った。この教会堂は気仙沼市の南に位置し、海沿いに建てられていた。津波によって土台しか残らず、瓦礫がそこを覆っている状況であった。JIFHからと本学の学生ら総勢16名で瓦礫を取り除き、教会の礼拝堂の板張りの床を出現させることができた。そして瓦礫の木材を利用して大きな十字架を作り、講壇と思われた背後にその十字架を立て上げるまでの作業を行なった。そこに教会があったこと、また、これからの教会と地域の「復活」を願ってのことである。4月9日には第4陣の学生らを乗せて千葉印西への帰路についたが、途中、JIFHの清家常務理事から電話があり、嶺岸牧師がその十字架をみて感激したとの報を受け、私たちも元気づけられたことである。

ボランティアの学生たちは貴重な体験をしている。気遣う心、被災者に寄り添いたいと願う心とそれをどのようにしたらよいのかと惑う思いが交錯している。それでいい。とにかく、現場に自分がいて被災された方々の傍らにいること、そしてできることを模索することが必要なのだと思う。どうあることが被災している人々の「隣人」となることなのかを問い続けるからである。今日と明日ではその問いの解答は違うだろう。学生ボランティアは第7陣まですでに予定が組まれている。第4陣のボランティアたちが聞き挟んだ現地の人々の不安は、ボランティアの人々が急激に少なくなってきていることだという。これからさらに人的必要が様々な領域で増す中、働き手が少なくなっていることには心が痛む。強い余震がなお続く中で復興に向けた学生たちの小さな働きが継続されるよう、本学も様々な配慮とバックアップに取り組みたいものである。

「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人々に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」(ガラテヤ6:10)