「一つとされる」

関東地方の梅雨明け宣言。夏の日差しが今週はいやに眩しい。けれども、先週は梅雨独特の高温多湿の一週間であった。しかも諸行事が続き、めまぐるしく過ぎた。7月8日(水)に、本学のアジア神学科コース(ACTS-ES)を中心とする第5回夏期卒業式が執り行われた。10名の卒業生を送り出した。アメリカからの留学生1名、インドから2名、カメルーンから2名、ドイツから1名、ナイジェリヤから1名、ネパールから1名、そして日本の学生2名である。留学生らは、欧米の卒業式スタイルに倣い、角帽とガウンを着用するが、卒業式後のチャペル出口広場での「角帽投げ」は恒例行事となっている。異国での学びと生活、特に、本学は全寮制ということもあって、卒業までには幾多の厳しさや辛さが背後にあったかと思うが、最後にクラスが「一つとされて」ともに卒業できた喜びを彼らは精一杯「角帽投げ」に込めているように思う。

その夏期卒業式を挟んで、日本のプロテスタント・キリスト教界では、今年、日本プロテスタント宣教150周年を迎え、その記念大会が開港150周年を祝う横浜で7月8-9日に開催された。7月7日の夜には、「記念晩餐会」が赤坂見附のグランドプリンスホテル赤坂で開催され、内外から900名の参加者を得た。「ヘボン式ローマ字」で知られる米国長老教会のヘボンら6名の宣教師の来日が起点とされている。今回の注目点は、この150周年記念を、プロテスタント各派(主流派、福音派、リバイバル派)が協力して開催したことにある。しかも、そのテーマが、「キリストにあってひとつ:主イエスの証人として」であり、もう一度、宣教師たちが宣べ伝えたキリストの福音を、日本の教会とキリスト者は、「一つとされて」、日本にいる人々に宣べ伝えて行こうと決意した。延べ1万6千人の人々が二日間の記念大会に訪れたと聞く。

日本プロテスタント宣教150周年記念大会の背後には「大きな危機感」がある。それは日本のキリスト教会の孤立化と牧師不足、教会そのものの低迷である。教会がもう一度主イエスの福音の力を知り、それを宣べ伝えることが、教会を活性化させるということを、参加者一同が共有した意義は大きい。教会を取り巻く日本の社会は、政治的な行き詰まり、経済的な不況、将来的な見通しの暗さの中にある。人間関係が希薄となり、不可解な犯罪が多発し、何を信じたらよいのか分からない時代に、教会は与えられている「いのちと希望」の福音の光を、「枡の下ではなく、燭台の上」に置かねばならない。このような意識を「派遣礼拝」で持てた。「愛の文化を生みだす教会」とならせていただいて、「愛が冷える世界」に果敢にチャレンジしてゆく必要を覚える。本学がこの使命の一端を担うことができればと思う。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)