TCUだより「父なる神様への祈り」

中高生向けの聖書コラム「TCUだより」が、ブログ形式でも発信されることになりました。皆さんがキリスト者として将来を考える上で、少しでもお役に立てれば幸いです。


今回のテーマは「祈り」です。皆さんは普段、どんな祈りをしているでしょうか。どういった時に祈っているでしょうか。皆さんにとって、祈りはどのようなものでしょうか。

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イエス様は、弟子たちに祈りを教えられました。
ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』(マタイ6:9-13)

現代の教会でも祈られる、主の祈りです。これは、神様の愛への絶対的な信頼に基づく祈りだと言えます。「神様は愛なる方であり、神様がなさることはすべて良い」と完全に信頼していなければ、「みこころが行われますように」とは祈ることができないのです。この祈りを教えられていることは大きな祝福です。そのことが、直前の6章7~8節でよくわかります。

また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。ですから、彼らと同じようにしてはいけません。(マタイ6:7-8a)

自分自身の祈りを考えさせられる御言葉です。「同じことばをただ繰り返す祈り」とは、願いを叶えるために祈る祈りではないでしょうか。本当の神様を知らない異邦人は、祈りが聞かれるようにと一生懸命ことばを繰り返して祈ります。彼らにとって祈りの目的は神様からの恵みや、良い結果を得ることなのです。そのように願うことがいけないのではありません。しかし、神様は私たちの願い事を叶えるために祈りを聞いておられる打出の小槌のような方ではありません。イエス様はこのように続けています。

あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。(マタイ6:8b)

イエス様は、神様はあなたがたの父だと教えました。異邦人が求める打出の小槌とは決定的に違うところがあります。父には、子を愛する愛があるという点です。その愛のゆえに、神様は私たちの必要を知り、よい道に導いてくださいます。この神様と親しく交わる、そんな祈りは願いが叶う以上に素晴らしい祝福ではないでしょうか!

私たちは何を求めて祈っているでしょうか。思い描いている幸せや、願い通りの結果でしょうか。それらを求めることは悪いことではありません。しかし、父なる神様を知っている私たちは打出の小槌にではなく、父なる神様との交わりの内に求めたいものです。父なる神様は、あなたの声に喜んで耳を傾けてくださいます。そしてその交わりの中で、私たちは主への完全な信頼を置き、みこころを願う者へと変えられていくのです。

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その人は、流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。(詩篇1:3)

今日、主の親しい交わりが皆さんの生活の内にありますように!
(hi-b.a.スタッフ 国府田祝子)