福祉に従事したクリスチャン列伝

稲垣久和です。

賀川豊彦(1888-1960)という日本キリスト教史上、稀有な実践家がいます。
今回、福祉専攻の学生募集のチラシを作りました。その中に、「福祉に従事したクリスチャン列伝」と題して留岡幸助、石井十次、山室軍平と並んでセピア色の顔写真が載っています。彼はボランテイア運動の元祖、1909年に神戸の新川にあった当時のスラム街に飛び込んで救貧活動を始め、次々と信仰に基づいた実践を行なっていきました。1923年の関東大震災時には東京に駆けつけ救援活動も始め、以後は東京にとどまりました。明治、大正期の近代日本の福祉のパイオニアにはこうした熱烈な信仰者が多いのです。

7月9日に神戸賀川記念館のシンポに行ってきました。以下はそのメモです。

生活現場と保育と介護 → 事業資金としての金融 → 新しい公共 → 行政の役割 → 人材教育と出会い・ネットワークづくりという流れでまとめてみました。神戸には協同組合の長い伝統があって、そこを基盤にさまざまな異業種間の立体的なネットワークが「公共福祉」を作りつつあります。関東にもそれを作りたいですね。

「公共福祉」とは市民の幸福な生活を目的とし、公と私と公共のそれぞれが担い手となって領域主権論を発揮して具体的な援助を必要とする人々をケアしモラル市民社会を形成することである。

稲垣久和の「公共福祉という試み」という基調講演のあとのシンポジウムでは、生活に近いところから仲宗根迪子氏(奈良生協連合会)が「無名の主婦が連帯の力を借りて作った生協」から子育て支援の「あすなら保育園」、高齢者支援の「特養あすなら苑」の建設運動、さらには行政・医師会との連携の医療福祉生協設立準備の取り組みを話した。

これらの福祉事業をするために必要なのは資金であるが、銀行からの融資とは別にNPOや社会的企業を育てるための非営利的な金融機関がいくつかある。その一つである近畿労働金庫の法橋聡氏(地域共生推進室室長)が「CSR現場からの報告」と題して発題した。「新しい公共」の事業はNPO下請け化に陥りやすい「市場化テスト」とはまったく異なっていて、そこで問われるのはあくまでも当事者としての「市民の自治」であると強調した。

行政側から清原桂子氏(兵庫県理事)は阪神・淡路大震災(1995年)への経験と教訓から「民間と行政がともに公共を担う」ための気運ができ、実際に2003年に「県民の参画と協働の推進に関する条例」を作ってきた経緯を話した。その中には兵庫県経営者協会・連合兵庫・県の三者による「兵庫型ワークシェアリングについての合意」(1999年)、「仕事と生活の調和と子育て支援に関する三者合意」(2006年)などがある。これらすべてを担うのは何よりも人材であり、人間を育成する教育の仕事が欠かせない。松岡広路氏(神戸大学大学院教授)はESD(持続可能な開発のための教育)の推進から東日本大震災への大船渡復興支援ワークキャンプ(岩手県)での学生ボランテイア参加とその問題点を語った。「公共圏にも踏み出さず、親密圏も持たない今どきの若者」のための「サブ公共空間」づくりからスターすることが必要である、と。

それでは暑い夏の到来です。節電の夏になりそうですが、東北の仲間への「友愛と連帯」を込めて、再見!