希有な学び舎

この1年間、教会や教団、キリスト教福祉事業の研修会などで依頼される奉仕は、自分には分不相応と思いつつも、少しでもTCU福祉専攻のPRになるのであればと考えて、できる限り引き受け、福祉専攻のことを多くの人に知らせてきたつもりであった。

ところが最近、こんなメールをもらって愕然とした。

「先生、福祉の専攻ではどんな資格が取れるのですか。教会で福祉の働きをそろそろ考えていて、卒業生とか働けるかどうかと思って…」

某教会の伝道師に赴任した今年の卒業生だった。その伝道師は、在学中は、福祉専攻ではなかったが、私の授業はじめ福祉の授業も複数取っていてよく勉強する学生だった。だから、TCUの福祉専攻は、聖書の基盤、世界観に立って介護福祉士の国家資格を養成するところだと理解していてくれると思っていたのだが、それは思い込みだった。私はハッとした。外に出ていくことは、これからも重要だが、在学している学生に対して、特に教会で教職者になる学生に対しては、同じ学園の中にいながら伝えるべきところができていなかったのだと。隗より始めよ、ということだったのか!

そこで、現在は、スプリングリトリートで祈りあうことができた神学校の学生との交わりをきっかけに、他の専攻の学生との交わりや協力を大切にしている。一例としては、キリ神3年生を中心に企画している被災地の子どもたちを集めてのキャンプ(国際飢餓対策機構からの委託)のわずかながらの応援をさせていただいている。私は、悲嘆や喪失の福祉的支援はある程度わかっても、子どもは専門分野でないので、児童専門の非常勤のS先生ご協力をいただき学び会を開催したりした。神学校、大学、学科専攻の枠をこえて、福祉棟の教室があふれるほどの学生参加があった(S先生には本当に感謝である)。今年度で基督神学校は、大学院開設にあたって解消発展するために、最終学年の3年生だけである。もっとも多忙な時期に、被災した子どもたちのたましいのために、愛し労するその献身の姿勢には、本当に教えられる。

多くの神学科の残るミッション系大学では、ほかの学科専攻と神学科は、すっかりかい離してしまっている。日本の伝統的な神学だけの学校では、福祉の学びはない。もともと福音伝道と福祉は、同じ宣教の概念に包括されていると説明はされるのだが…。その点、TCUでは、宣教のスピリットが教会教職課程の学生ばかりでなく、参加している国際や福祉の学生まで受け継がれ、また神学専攻の学生も、福祉から学ぼうとしている。これには感動と勇気を与えられる。このような経験ができるTCUはやはり稀有な学び舎であると改めて感じる。

震災後の危機的状況に、共に将来牧師になる方と福祉の担い手となる者が一緒に悲嘆や痛みの中にいる子どもたちに寄り添い、共に汗を流すこと自体が貴重な機会である。キャンプでは、子どもたちは、クリスチャンでない一般の家庭から送られる。一キャンプ二泊三日で4クール、120名近い子どもたちのキャンプ。短期間であっても、クリスチャンのお兄さん、お姉さんたちと一緒に楽しく過ごすキャンプを子どもたちは生涯忘れないに違いない。ずっと後の日になって、投げたパンを見いだせるように(伝道者の書11:1)、奉仕者にも参加する子どもたちのためにも祝福を祈りたい。(井上貴詞)