「多忙な中の憩い」

巷ではすでにクリスマス商戦への準備に忙しい。早や今年も二ヶ月となった。個人的にも先月の10月は忙しかった。諸教会奉仕、ミッションスクールのチャペル奉仕、学園理事会・評議員会、国際宣教センター館竣工式、札幌地区学園デー、創立記念礼拝・講演会、そして、「公共福祉棟」竣工式と、果たすべき役割が次から次へと求められる。その合間を縫って授業があり、大学の色々な委員会や会合がある。しかし、感謝なことに、その時その時の「主の備え」と同労者の協力の中で、事が進められて来た。なんと幸いなことか。

忙しさの中で、つい「なぜ自分だけが」という思いにとらわれることがある。何と浅はかで視野の狭いことかと反省させられるが、そのような中にも、実に多くの「憩い」が与えられていたことか。ミッションスクールのチャペル奉仕の後、そのチャペルで撮られた写真が礼状とともに送られてきた。記念になるような印象的な場面や学生たちの真剣に傾聴する姿などを写し出していた。何故か心が和む。さらに、北海道を訪れて、その紅葉の美しさに心を奪われた。まさに一面「総天然色」である。神の創造の素晴らしさとその色彩の細やかさに心から感動した。北海道の学園同窓生や教え子らとの親しい語らいもあったし、ラーメンや海鮮料理に舌鼓を打った。そして、学園に帰って、11月3日(土)の「シオン祭(学園祭)」での賑わい。学生たちの元気な姿に大いに励まされたことである。「憩い」はその都度、「身近なところ」に用意されているものだと思わされる。

11月5‐6日の二日間、国際宣教センター(FCC)主催の教会教職育成継続プログラムの一環として「牧師のSOSと危機対応」というセミナーが約60名の参加者を得て持たれている。新築された国際宣教センター館での始めての会合となる。現代における牧師のストレスや危機にどう応えたらよいのか。牧師の人間関係におけるコミュニケーション能力の不足、精神的疲労、危機対応の失敗などの課題にどのように向き合い、どのようなケアが必要なのか、具体的な現場からの声とともに必要な情報交換、提言や対策などの協議をと願っている。「ほっと一息つける憩い」を奉仕と生活の中で見出したいものである。「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」(詩篇4:8)