「危機の中で生まれるもの」

東日本大震災を受けて、慌しく始まった2011年度だが、新学期もすでに終盤を迎えている。一方で学生たちは被災地にボランティアとして出かけ、他方で通常の授業を受け、寮生活を続けている。学生たちの自主性や主体性が、近頃顕著となり私自身大いに励まされている。夏休みに向けて夏期伝道チームに被災地教会への派遣が予定されているし、被災地の子どもたちへのケアに二週間のプログラムを日本国際飢餓対策機構(JIFH)との連携で企画している。皆学生主導のものである。実に頼もしい。大震災は学生たちに何かを問いかけ、できることを進んで行おうとさせている。

大震災はまた、学生たちにより強い連帯感を与えているように思える。これはこの危機に対して互いに心を一つにし、力を合わせて復興に協力しようという共通した志によってでもあるが、被災地でのボランティア参加や寮生活での危機管理意識の共有がそれを一層強くしているのだろう。本学には併設の神学校の学生もいれば、アジアやアフリカからの留学生も少なからずいる。ボランティアチームでは本学の学生も神学校の学生も、また留学生も同じ思いで働き、支え合ってきた。そこでは年代や文化の違いを超える絆を生む。6月1日から三日間、スプリングリトリートを富士山麓の西湖で持ったが、リトリート期間を通じて、キリスト信仰による隣人愛と奉仕への連帯感が一段と強められたと言えよう。

大震災から三ヶ月。被災者の苦悩が今なお続き、その後の復旧・復興、原発事故の収束が思うように進まず、その対策の陣頭指揮を執っている政府や国会の混乱に、気が滅入る日々を送っているが、この危機にあって学生の中に自主性と連帯感が生み出されている。5月にもたれた世界宣教講座では、エノック・ワン先生が「惜しみない神の恵み」ということを様々な角度から語られ、震災に苦しむ日本と私たちに「岩なるキリスト」に堅く立つよう励まされた。また、スプリングリトリートの講師であった米内宏明先生からは、理解を超えた神の取り扱いとそれに伴う苦難を引き受けたマリヤの献身から、理解しがたい状況に置かれ苦難を強いられることがあっても、全能なる神に自分を委ね、その時を生きる大切さを教えられた。被災者の方々を思うと心が痛み、避難者の方々の帰郷への叫びが心に響くが、その中でも互いに助け合い、支えあう連帯感が醸成され、そこから「希望」が生まれるよう願ってやまない。

「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」(詩篇18:2)