TCUだより「弱いときにこそ、強い」

中高生向けの聖書コラム「TCUだより」を、ブログ形式でも発信します。
皆さんがキリスト者として将来を考える上で、少しでもお役に立てれば幸いです。


 こんばんは!高校生はテストの時期ですね。もうすぐ受験という人もいるでしょうか。思い出してみると…私のテスト前は、自分の自己管理能力のなさに嫌気がさしてイライラする日々だったように思います(苦笑)でも、そんな自分も嫌で仕方がなく、私なりに「自分は弱いなあ」と感じていました。ちょうど、このイラストのような感じです。笑
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「弱さ」は、誰も避けることのできない人間の特徴とも言えるかもしれませんね。一人一人、欠けがあって弱さを持っています。「キリスト教は弱い人の宗教だ!」ということを聞いたことがありますが、誰一人弱さを持たない人などいないのです。尊敬する信仰の大先輩、パウロでさえそうでした。彼が教会宛に書いた手紙を読んでいくと、自分自身の愚かさ、弱さについての言葉が度々語られているのです。しかし、そんな彼はある確信によって力強く立たされていました。

「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント12:10b)

印象的な逆説です。彼がこのようなことを言えたのはどうしてでしょうか。
パウロは、体に病気を持っていたと考えられています。Ⅱコリント12:7にある「肉体のとげ」がそれです。彼はこの「とげ」によって、悩み、苦しみ、これが取り除かれるようにと主に強く求めました。自分が苦しいだけでなく、主の働きの妨げになると思ったのです。しかし、そんなパウロに与えられた神様の言葉はこうでした。

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12:9a)

「あなたが要らないと思っているそのとげは、わたしの恵みの一つだ。その弱さのうちにこそ、わたしの力を完全に現わそう。」と主は言われたのです。パウロは、このとげにより主の前にへりくだりました。そして、先ほどの確信に至ります。もし心も体も調子が良ければ、すべての業を自分の力によるものだと高慢になっていたかもしれません。彼は、とげがあることによって弱さのうちに完全に働かれる神様の御業を見、またそれを100%神の恵みとして受け取ることができたのです。

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私たちは、すぐに完璧を目指します。聖書が教えるように、信仰深く、敬虔に。そして、そのような生き方をできない自分の弱さに気づき、落胆していきます。人と比べてだめな人間だと思うこともあるかもしれません。しかし、「自分にはできない」という弱さは神様の力に頼るチャンスです。こんな自分が者が神の子どもとされている!という恵を味わう時です。弱さを覚える者にこそ、主の恵みを深く味わう幸いがあるのです。弱さを痛感する時、主の力に期待しましょう。その先で力強い神の御業を見ることができます。

(hi-b.a.スタッフ 国府田祝子)