「心を合わせ、志を一つにして」

去る3月11日(火)に本学の卒業式があり、55名の卒業生・修了生を送り出した。学長として最後の務めとなり、卒業生一人一人への学位記授与と握手に万感の思いを込めた。特に、2012年から始まった大学院修士課程を修了した第一期生に証書を渡すことができたことはとても嬉しく感謝である。60年近く歴史のあった神学校を閉校して、教会教職養成を大学に一本化しての最初の卒業生ということもあって、とても感慨深い。それぞれの場所でキリストと教会に仕えて、キリストの御名をあらゆる人々に知らしめてほしいものである。

 

3月24日の「TCU支援会全国会議」と25日の本学「理事会・評議員会」をもって、学長としての最後の公の責務を果たし、3月末日をもって二期8年に亘る学長職を辞する。一番の感謝は、「『キリストがすべて』をモットーとして、聖書に基づくキリスト教世界観をもって、神の国の建設と進展のために、教会と社会で奉仕する宣教の働き人を育成する」という本学の使命に、多くの仲間が「心を合わせ、志を一つに」(ピリピ2:2)してくれたことであった。本当に助けられ支えられた。教職員はそれぞれの賜物と能力を十分に発揮して、大学を取り巻く厳しい環境の中にも、本学の使命に果敢に取り組み、本学を「前」へと進ませている。何かを成し遂げたとするなら、それは彼らの結束の実であり、主なる神の憐れみと言う他ない。苦闘の中にも主のみわざに接して、「震えおののく」とともに、その感動と感謝が報いとなった。

 

4月から小林高徳新学長のもとでさらに本学の教育が充実し、教会や社会に喜ばれ、主キリストに生涯をささげて、社会の様々な分野で活躍する卒業生を輩出する大学となるよう願いつつ、微力ながら今後も応援してゆきたい。8年に亘る皆様のお祈りとご支援を深く感謝する次第である。「ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:13-14)

「ひとりを大切に」

謹賀新年。北陸や北日本の日本海側地域は荒れる天候で大雪に見舞われるという予報の中、ここ千葉県印西市は快晴の元日を迎えた。寒いが澄んだ空気と太陽に照らされた家屋と木々の景色は、「この年を穏やかに」という強い願いに導く。近年、情報が世界大となったせいか、各国・各地での暗いニュースが日々飛び込んでくる。体制への爆弾テロで多くの犠牲者が出る。覇権争いで紛争が勃発し部族同士が殺し合う。内戦に伴う難民は隣国に逃れて言い知れぬ不安と窮乏を強いられる。多くの難民を抱えた国々もその民族バランスが崩れ、政局が揺らぐ。また、自然の猛威に晒された被災者は、愛する者を失い、家屋の倒壊と失業で途方に暮れ、行き場を失って呆然と立ちつくす。さらに、日本を取り巻く東アジアも、各国の利益と大義名分で互いに相手を非難し相手を封じ込めようと躍起になる。世界は各地で分断され、人と人の絆が切れて互いに孤立し対立を深めているように見えてならない。

分断と対立、そして孤立は、互いに敵意をむき出しにし、猜疑心と不信を助長する。そしていつもその犠牲となって傷つき倒れるのは、時局に翻弄される婦人と子どもたちである。彼ら「ひとり」は顧みられず、その叫び声も消されてしまう。「ひとり」が覚えられない。「ひとり」がかき消されてゆく。それぞれにその生活があり、人生がある。これまでの絆があり、営みがある。それが一瞬にして奪われ、悲痛と混乱の中に追いやられる。そのような状況が世界で散見される昨今、心が痛み、何とかならないものかと腹立たしい思いとなる。社会の仕組みを変えることによって、誰もがその生をそれなりに営むことができるようになることの大切さは分かる。しかしそのプロセスの中で、その社会を構成する「ひとり」がかき消されてゆく現実も他方にある。徹底的に「ひとり」を大切にする人々やグループが歴史の中で起こされている。「愛が冷えてゆく」時代、「ひとり」を大切にする人々とともに行動したいものだ。

抽象的な全体指向の世相にあって、ひとり一人が創造主なる神の「かたち」として造られた意義を覚えたい。同時に、すべての人がその神に背を向け自律と覇権を争う現実もしっかりと押さえておきたい。この世界のただ中に、神はその「独り子」イエス・キリストを遣わし、人の背反の罪をキリストに負わせられた。キリストは十字架の死をもって人の罪を贖い、その復活を通して背を向けるひとり一人に、ご自分への人格的な信仰を通して神への「立ち返り」を求める。そこに「ひとり」の人格的な再生をもたらし、ひとりが生かされ、ひとりを生かすいのちの絆が広がってゆく。イエス・キリストがもたらした変革は、ひとりに向かい、ひとりを重んじ、ひとりの人格を大切にするものであったことを改めて覚える。昨年注目された「八重の桜」に登場する八重の夫新島襄は、「諸君よ、人一人は大切なり。一人は大切なり」と同志社英学校創立10周年記念礼拝(1885年)で語ったという。「ひとりに目をとめていのちを通わせる」、そのような交流を大学という場で、教会という場で培ってゆきたいものだ。

「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7)

「新しい事が」

2013年も残すところあと一ヶ月。学長ブログも大分期間を空けてしまった。明日から本学は冬学期を迎える。秋学期は実に多彩な学期であった。と同時に、新しい事が起こる兆しのとき、いや、すでに起ころうとしている先駆けの学期であったとも言えよう。恒例のアジア・アフリカ等から留学生を迎える「アジア神学コース(ACTS-ES)」に6名の新入生(ネパール、インド、ケニヤ、ジンバブエ、米国)を迎え、また、秋学期だけの「短期留学生プログラム(EAI)」に米国6大学から14名の留学生を迎えての国際色豊かな学期を過ごした。「他者・異文化理解」を教育理念に掲げる本学にとっては、留学生が全学生の四分の一を超え、まさにキリスト教のグローバル性をキャンパスと寮で体験できる恵まれた環境にある。今年度の「シオン祭」(学園祭:10/14)のテーマが「彩り」であったが、これらの人々は本学に彩りをさらに添えるものとなっている。

本学は、2012年度から大学院神学研究科を設置し、修士課程を通して将来の牧師・宣教師等の教会教職者(高度専門職業人)を育てる教育をしてきた。それが2013年度で完成年度を迎えるが、それに合わせて、将来の神学研究者・教育者を養成する博士課程の必要を覚え、今春文科省にその認可申請を行い、2014年度からその設置が認可された(10/25)。こうして、プロテスタント福音主義に立つ神学大学として、学部と大学院(博士前期・後期課程)までの課程を備え、「教会と社会に奉仕する献身的なキリスト者」を神学・国際・福祉の分野で輩出するという目標を達成するカリキュラムが整ったことになる。前身校の卒業生や協力者たちのビジョンに対する祈りと支援の実であり、学園の主なる神の賜物である。教育内容の充実は、教会と社会に有用な人物を輩出するためであり、この責務により一層励まねばなるまい。

2014年度は、本学にとって「新しい事」が始まり、新たな段階へと歩みを進める時となる。学長として過去2期8年努めさせていただいたが、任期満了となり新学長が立てられることとなった。現学部長である小林高徳氏が次期学長となる。この8年間小林学部長とは「二人三脚」で、大学認証評価、キリスト教福祉学専攻設置、そして大学院神学研究科(博士前期・後期課程)設置へと恊働させていただいた。まさに、「同労の友」である。今後、新たな段階へと歩みを進める本学にとって、彼はそのリーダーシップを発揮できる最適任者である。クリスマス・アドベントのとき、人類の救い主(キリスト)イエスの誕生に思いをめぐらすこの期間、世界の創造からその終末の完成までのエポックメーキングな新しい時と事柄であるクリスマスを前に、本学にとってもまた、新しい事が起こることを待ち望み、期待できる時としたいものである。

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)

「後を受け継ぐ者」

 去る7月5日に夏期卒業式を挙行して留学生5名を世に送り出した。2001年から始まった9月入学の「アジア神学コース(ACTS-ESプログラム)」も9回の卒業式を数える。本国で牧師や教師として働いている者、日本国内外で修士や博士課程で学びを継続している者、ビジネスの世界で活躍している者と多様で、今後がさらに楽しみである。この9月には新たに6名の留学生が後続の学生として入ってくる。少人数だが、TCU卒業生として、「キリストがすべて」のもと、自分を活かし、隣人を活かし、社会を活かす人物として活躍してほしい。教員も前回紹介したように、若手の篠原基章先生(国際キリスト教福祉学科所属、宣教学)と加藤善之先生(神学科所属、神学)が加わり、将来のTCUを担う教員として期待している。近年定年を迎えられた先生方のバトンを受け継いだことになる。

 後継者の育成はどこの機関にとっても重要課題である。殊に、小規模大学であり、さらに教職員すべてが福音的なキリスト者であることを「建学の精神」に則って自らのアイデンティティとしている本学ではなおさらである。「学生がいなくては学校として成り立たない」が、その学生を魅了するのはその教育環境であり、その中でも特に教員の質と教育内容が最も問われる。本学では教員の専門における学問的卓越性や教育力はもちろんのこと、キリスト者としての深い霊性、忠実な教会生活、誠実で協調する姿勢などが求められる。本学がその教育の使命を継続的に果たしてゆくためには、本学の建学の精神と信仰規準に同意する人物が国内外からたえず起こされる必要があるとともに、そのような人物を育成してゆく責任も負わされている。

 本学は戦前・戦後からの前身校をその歴史に持つが、大学としては1990年創立の若い大学である。その第一世代が私たちのような第二世代を育成し、第二世代の全盛期という時期を幸いに迎えているが、その間に次を見据えた第三世代への布陣とその育成に意を用いて行かねばならない。50代の「専任」の理事長を今年度から得て、さらに30代の二人の専任の教員(内一人が本学の卒業生)が加わり、2013年度は第三世代に向かう本学の新たな転換期とも位置づけられよう。本学は、教会の牧師後継者養成校でもあり、また、次世代の教会と社会に貢献するキリスト者の育成を教育の目標としていることもあって、教会とともに「後継者の育成」ということに真摯に向き合わねばならないのである。

 「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(2テモテ2:2)

「ホーリスティック」

 暖かだった3月中旬、キャンパスの桜がいっせいに開花し、春の陽気を身近に感じたのもつかの間、一転して寒さが戻り、雨が降り注ぐ3月下旬からの今日、桜花も散り始めてはいるものの必死で枝にしがみついている姿が実にいじらしい。明後日の入学式までもしや花をつけているのではないかと期待を膨らませている。今年に入って矢継ぎ早に身内に不幸があり、また、友人・知人の訃報に悲しみと痛みを経験しつつ、キリスト教暦の受難週を迎えてキリストの十字架に思いをめぐらし、その死からの復活に「生けるのぞみ」を噛みしめて復活節を過ごしている。その中での「初孫の誕生」は、神の慰めと労いとなり、人の生と死に関わる神のご主権とその厳かさを改めて実感させられる。

 2013年度が始まった。今年の新入生は編入生や大学院生まで含めて62名である。学部から大学院修士課程2年までの学生がすべて揃い、学部生142名、大学院・専攻科生34名の総勢176名で新年度をスタートする。また、今年度から若手教員が2名専任として加わり、学生や教職員に新しい風をもたらしてくれるだろう。本学の特徴は、50を数える教団・教派(外国も含める)出身の学生と、10ヶ国から40名(約1/4)の留学生を受け入れ、学びと寮生活を共有しているところにある。それぞれの教団・教派の特徴を踏まえてキリストにある一体性を確認し、また、異文化からのキリスト者との出会いを通して文化の違いを受けとめながら互いを知る機会とする。キリストにあっては一つだが、実に多様な人々がともに学び、ともに暮らす、それが本学の強みである。

 2013年度の本学の年間聖句は、「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。」(マタイ9:35)で、年間テーマは、「主イエスの包括的な働きに倣う」である。廣瀬薫理事長が今年度から「専任」となり、この聖句とテーマを選ばれた。本学には「聖書に基づくキリスト教世界観をもって神の国建設に貢献する働き人を教会と社会に送り出す」使命があるが、今年度の聖句とテーマには、この使命をもう一度確認して、それぞれの教会が祝福され、日本とアジアと世界の宣教が前進するようにとの祈りが込められている。本学の、御国の福音を宣べ伝える牧師養成(神学)、世界をつなぐ国際人養成(国際キリスト教学)、人の必要に寄り添う福祉士養成(キリスト教福祉学)が、「主イエスの包括的(ホーリスティック)な働きに倣う」人材養成でありたいと強く願わされるところである。

「主を喜ぶ」

 謹賀新年。この年もキリストの御恵みに生かされる日々をと願う。寒さ厳しく、日本海側では大雪に見舞われる中での2013年、今年はどんな年となるのだろう。昨年は何といっても世界主要国の指導者の交代で明け暮れた。日本もさることながら、ロシア、中国、韓国と新体制となり、北朝鮮をはじめ台湾も新たな歩みとなった。東アジアのトップスがすべて新しくなる。加えて、米国オバマ大統領の再選、仏国オランド新大統領、エジプトのムルシー新大統領と連日海外ニュースの話題には事欠かない。シリアの内戦、エジプトの新国家建設の内紛、欧米の経済不安、東アジアの領土をめぐる緊張等、新指導者の責務は限りなく大きく、その道は実に険しい。今年も不安定、不確定の年となり、賢明な指導者相互による平和の道づくりが本当に待たれる年となる。

 本学も今年、大学院が二年目となり、学部から大学院までのすべての課程を学生が占めることとなり、これまでの前身校が本学に完全に一本化される年を迎える。実にビジョンを抱いてから14年目の実現である。そして、その課程も実に広がりを持ってきた。「聖書に基づくキリスト教世界観に立って、神の国の建設(進展)に寄与する世界宣教の働き人を、教会と社会に送り出す」ことを使命とする本学は、「キリストがすべて」をモットーに、「キリストへの集中」と「キリストにある広がり」の両面を視野に入れて、神学科には教会教職専攻と神学専攻、国際キリスト教福祉学科には国際キリスト教学専攻とキリスト教福祉学専攻を備え、大学院には神学研究科神学専攻を設置している。キリストの神の国のミニストリーである教職、国際、福祉の働きを担う人物を育てるという思いをさらに強く願う年としたい。

 2013年、与えられた聖書のみことばは、「主の喜びはあなたがたの力」(ネヘミヤ8:10)である。これは帰還の民イスラエルの「霊的な復興」を示す箇所である。崩されていたエルサレムの城壁が総督ネヘミヤの指導によって再建されて、祭司であり学者であるエズラによってモーセの律法が朗読され、レビ人たちによってそれが解き明かされた場面。エルサレムの城壁が再建されるという、いわば、外側の必要が整った中で、より必要なことは、それを成し遂げられた主なる神への礼拝と献身という霊的な復興に他ならない。みことばが朗読され、解き明かされ、それに耳を傾け、祈り、礼拝する民。本学も形は整った。それゆえに、本学も霊的な刷新が求められている。学生と教員が一堂に集い、みことばとその解き明かしに耳を傾け、罪を赦す恵みの主を「喜び」、ほめたたえ、「アーメン」と唱和して主への献身を表明するチャペルの祝福を経験する一年としたい。

 「きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力であるからだ。」(ネヘミヤ8:10)

「つなぐ」

 前身校と本学併せて44年間奉職された天田繫先生が、去る11月17日(土)に74才で主のもとに召された。先生の生涯は、音楽、特に、教会音楽を通して多くの人々を富ませるものであった。秋学期最後のチャペルで、「みないっしょにいて」と題してメッセージしたときに、天田先生を思い起こして次のように語った。「私も大学時代からクワイアで教えられました。クワイアは集まらなければ何もできません。集まってもてんでバラバラに声を出していては騒音で終わってしまいます。ユニゾンでは互いの声を聞きつつ、心と思いと声を一つにしなければならないでしょう。混声四部合唱ではそれぞれのパートを保ちつつ、適切なハーモニー(和声)とならねばなりません。指揮者は、それぞれを『みないっしょに』とする力量が要求され、しかもすばらしい和声となるようその芸術性が求められるのでしょう。『みないっしょに』のために『それぞれをつなぐ』存在が指揮者であるように思います。天田先生は、音符の読めない私のような者を上手に歌わせ、歌う楽しさを引き出し、他の人の声とマッチングしてくれた、つないでくれた存在であったと思います。」

 グローバル化にあって、言語も文化も違う人々の交流が自国においてもさかんとなった現代は、人と人との結びつきも多様化し、またそれ故に誤解と軋轢が生じやすくなった。相手を自分のこれまでの考え方や生まれ育ったものの見方で性急に判断することに一呼吸置き、まずは謙虚になって相手がどうしてそのような「ことば」を発し、態度を取るのかを読み解いていく姿勢と度量が試される。そして、相手の持ち味を活かしつつ、それでも「今ここで」は適切でないことも示して相互に理解し合ってゆくことがどれほど求められているかと思う。誤解と軋轢が増せば増すほど、この役割を担う「つなぎ手」が必要になってくる。それぞれを活かしつつ、しかも調和(ハーモニー)のとれたものとなす働きほど、グローバル化し多様化する21世紀に必要なものはない。

 今年もクリスマスを迎える時期となった。考えてみれば、クリスマスの主人公であるイエス・キリストという御方は、まさにこの「つなぎ」を完璧なほどに成し遂げてくださった方なのだと改めて思う。創造主なる神に背を向けて神と敵対関係にあるわれわれ人類を、神に「自らのいのちをもってつながれた御方」がキリストであった。彼の誕生、その生涯、そして、最後の「十字架と復活」がこの「つなぎ」を確かならしめた。さらに、いのちを注ぎ出すほどの彼の愛に感動する人々を起こし、互いをつなぐ「つなぎ手」として人間関係において用いてくださる。クリスマスを喜ぶ人々の中で、この使命に生きる人々が起こされてくることこそ、現代日本の希望であると思わざるを得ない。教会音楽という分野で人々を堅くつないだ天田先生を偲ぶ本学の「クリスマス・コンサート」が12月14日(金)午後7時に本学チャペルで開演される。

「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)

“Affluenza”

2012年9月16日  “Affluenza”
2012年度の秋学期が始まって二週間が過ぎた。学生たちも夏休み中の様々な研修や実習、そしてキャンプ奉仕などを終えて、また、守られて帰ってくることができ感謝である。今年も秋学期入学の「アジア神学コース(acts-es)」に、ドイツ、ケニヤ、ミャンマー、ウガンダからの留学生が6名加わり、また、インドネシアと米国出身の短期留学生(秋学期のみ)が5名与えられた。さらに教員サイドでも、シンガポールのトリニティ神学大学(Trinity Theological College) からアンドリュー・ペー先生(Dr. Andrew Peh)が客員研究員として来られている。彼のサバティカル(研究専念期間)で日本のキリスト教史を研究するためである。学生・教員レベルでの交流はこれからますます増えてくるし、グローバル化の時代の特徴でもあろう。

先週一週間、本学は「世界宣教講座」週間を過ごし、建学の精神の一つである「世界宣教」の使命をもう一度全学で覚える機会をもった。講師には、丁度、宣教学や宣教史が専門であるペー先生にお願いすることができた。先生はチャペル5回、講義4回と、「グローバル化時代の宣教」というテーマのもと、チャレンジングで洞察に富む講演をされた。印象に残っているのは、グローバル化の功罪をバランスよく取り扱われたこと、そして、「オリーブの木とレクサス」、「からし種とマックワールド」という今日的な社会分析の鍵ことばを用いて、オリーブの木やからし種のような「伝統的なもの」と、レクサスやマックワールドのような「世界大に広がるテクノロジー」の適切なバランスの大切さを訴えられた。

ペー先生は、最後の講演で、グローバル化時代という「時のしるし」をよく見分けること(マタイ16:3)の中で、グローバル化に伴う「過度化(行き過ぎ)」に心を見張るよう諭された。行き過ぎの最たる「さらなる消費へと向かわせる貪り」への警告は今日誰もが心して聞かねばならない事柄である。レクサスやマックワールドに代表するグローバル化は、私たちを「アフルエンザ」という病気に陥らせるという。これは、”affluence + influenza = affluenza” という合成語で、「色々なものを数多く持ちたいという流感」をいう。人間の根源的な貪欲さを煽るものである。そこに私たちの安心・安全が本当にあるのだろうか。改めて、与えられているもので満足し、隣人には分け与えるという聖書の精神とキリストの姿を、この時代の中で積極的に追い求め、実践してゆくことが求められる。

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」(Ⅰテモテ6:17‐18)

"Affluenza"

2012年9月16日  “Affluenza”
2012年度の秋学期が始まって二週間が過ぎた。学生たちも夏休み中の様々な研修や実習、そしてキャンプ奉仕などを終えて、また、守られて帰ってくることができ感謝である。今年も秋学期入学の「アジア神学コース(acts-es)」に、ドイツ、ケニヤ、ミャンマー、ウガンダからの留学生が6名加わり、また、インドネシアと米国出身の短期留学生(秋学期のみ)が5名与えられた。さらに教員サイドでも、シンガポールのトリニティ神学大学(Trinity Theological College) からアンドリュー・ペー先生(Dr. Andrew Peh)が客員研究員として来られている。彼のサバティカル(研究専念期間)で日本のキリスト教史を研究するためである。学生・教員レベルでの交流はこれからますます増えてくるし、グローバル化の時代の特徴でもあろう。

先週一週間、本学は「世界宣教講座」週間を過ごし、建学の精神の一つである「世界宣教」の使命をもう一度全学で覚える機会をもった。講師には、丁度、宣教学や宣教史が専門であるペー先生にお願いすることができた。先生はチャペル5回、講義4回と、「グローバル化時代の宣教」というテーマのもと、チャレンジングで洞察に富む講演をされた。印象に残っているのは、グローバル化の功罪をバランスよく取り扱われたこと、そして、「オリーブの木とレクサス」、「からし種とマックワールド」という今日的な社会分析の鍵ことばを用いて、オリーブの木やからし種のような「伝統的なもの」と、レクサスやマックワールドのような「世界大に広がるテクノロジー」の適切なバランスの大切さを訴えられた。

ペー先生は、最後の講演で、グローバル化時代という「時のしるし」をよく見分けること(マタイ16:3)の中で、グローバル化に伴う「過度化(行き過ぎ)」に心を見張るよう諭された。行き過ぎの最たる「さらなる消費へと向かわせる貪り」への警告は今日誰もが心して聞かねばならない事柄である。レクサスやマックワールドに代表するグローバル化は、私たちを「アフルエンザ」という病気に陥らせるという。これは、”affluence + influenza = affluenza” という合成語で、「色々なものを数多く持ちたいという流感」をいう。人間の根源的な貪欲さを煽るものである。そこに私たちの安心・安全が本当にあるのだろうか。改めて、与えられているもので満足し、隣人には分け与えるという聖書の精神とキリストの姿を、この時代の中で積極的に追い求め、実践してゆくことが求められる。

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。」(Ⅰテモテ6:17‐18)

「世界に広がるネットワーク」

公共的な側面を持つ大学には、その地域貢献や社会貢献のみならず、世界大のネットワーキングが拓けるという利点がある。中でも、キリスト教系の大学のネットワークは世界大に広がる。キリスト教がもつ世界性は、このネットワークを遺憾なく機能させている。昨年の東日本大震災の緊急支援も、行政や民間の支援団体だけでなく、キリスト教の隣人愛と奉仕の精神に基づいて活動するNGOやNPOからの物的・人的支援が国内外からあり、被災地の教会や団体等を通して活動がなされたが、それもキリスト教の世界大のネットワーク力に負うところが大きい。日頃から世界に広がるキリスト教大学との交流や教員たちの世界大的な人脈のゆえに、小規模校の本学もそのネットワークはかなりの広がりを持っている。

去る7月6日に夏期卒業式を挙行し、10名(主に留学生)を送り出した。2001年から本学は秋季入学者を受け入れ、英語による神学教育を行っている。8回目の今年は、南米のペルー、アジアのフィリピン、アフリカのカメルーン、ケニヤ、ジンバブエからの留学生で、彼らを通してのネットワークがこれから期待できる。夏休みとなったが、本学の世界大のネットワークと人的広がりの中で異文化実習ではフィリピンにキリスト教NGOとの協力で、海外語学研修では米国シアトルのキリスト教大学との提携で、また、将来牧師を志す学生の教会インターンでは国内外の教会との協力関係で、学生たちが派遣されている。毎年恒例の学生主催の「夏期伝道」も北は東北、南は九州の10教会に7月7日から派遣され、10日間の働きを終えて帰寮した。これも国内外のキリスト教のネットワークの賜物である。

6月下旬から7月初旬にかけて、東日本大震災や原発事故の課題を神学的に検証し、また、今後の具体的な支援やケアを果たすために、本学に国内外から研究者や実践者が来られてセミナーやシンポジウムがもたれた。6月18日(月)には「東日本大震災と教会のミニストリー」セミナーに仙台を拠点として大震災からの復興に実際に取り組んでいる仙台キリスト教連合東北ヘルプ事務局長の川上直哉氏を、7月4日(水)には大震災や原発に関する日韓神学シンポジウムに韓国総神大学校の宋浚仁氏ら4名を、また、7月10日(火)には米国のキリスト教大学であるホイートン大学の心理学者ダビデ・ボアン氏ら5名を迎えて、精神的なケアを必要としている方々を取り扱う人々への支援について協議する機会を得た。痛みと苦しみの経験の中で、日頃あまり気にも留めなかったキリスト教の世界大的なネットワークの広がりの大きさを改めて覚えさせられている昨今である。

「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)