「外に置かれる人々」

1月末に放映されたNHK番組「無縁社会」が今も心に残る。一人暮らしで孤独な死、誰にも気づかれずに放っておかれ、さらに、発見されても亡骸を引き取る人がいないという寂しく、痛ましい日本社会の現実がそこにあった。それらの人々は、地縁、血縁、社縁の外に置かれた人々であるという。故郷を離れて久しく、両親もすでに他界し、親族との関係も色々な事情ゆえに疎遠となって、職場を定年退職した後では、これらのつながりが途絶えて一人となるというケースである。生涯独身であったのか、離婚しなければならなかったのか、いづれにしても独居老人ということである。何らかの人との関係を持たない、コミュニティに属さない人々が年々増加している。高齢の義理の両親を身近に持つ者として、その痛ましさはひとしおである。

一方、ハイチ大地震(1月13日)から一ヶ月あまり、その復旧作業はあまり芳しくない。治安が悪化し、人々の窮状はなおも続く。そのような中で、ハイチの子ども33人を許可なく国外に連れ出そうとして米国人の男女10人が国境付近で拘束されたというニュースがあった。キリスト教系の孤児救援団体に属する人たちのようで、ハイチ・ポルトープランスの孤児施設の崩壊で、その子どもたちを隣国ドミニカ共和国の孤児施設に連れてゆこうとしたという。震災孤児らの人身売買などが横行する中で、彼らの無許可の行動が嫌疑をもたれる結果となった。飢えと危険な環境から一刻も早く、食料と安全が確保される場所へと移そうとしたのかもしれないが、法に触れる行為となってしまった。国際救援の難しさを垣間見る思いがする。

4年に一度の冬季オリンピックが、カナダ・バンクーバーで2月13日から始まった。その開会式は非常に印象深いものであった。その中で特に麗しく思ったのは、カナダの四つの地域に住む先住民が紹介され、その文化への敬意が表されたこと、同じ一つカナダ国民ということが共有されたことである。日本、ハイチ、カナダと私たちの周りには、いつも外辺に置かれる人たちがいる。そのような人々の必要は大きいが、私たちの関心は薄いと言わざるを得ない。関心だけでなく、そこに何らかの関わりが求められる。学生有志のハイチ大地震への支援金呼びかけに本学の学生や教職員が協力し、日本国際飢餓対策機構を通じて、ハイチの救援と復興に少しでも参与できたことは幸いであった。本学から、キリストの隣人愛をもってそのような人々に届く、介護福祉者や国際救援・開発者を多く送り出したいものである。「あなたがたの神、主は、・・・みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。」(申命記10:17-18)