「春の嵐の中への外出」

3月末から4月第1週の穏やかな春の陽気とは一変して、4月6日以降2、3日おきに寒暖の日が続いている。しかも寒は決まって雨、風となる。まだコートを手放すこともできない。季節はずれの「三寒四温」の四字熟語が頭に浮かぶ。これも地球環境変動の仕業か。4月に入ってキャンパスの満開の桜を吹き散らしてしまえとばかり、4月8日の入学式は暴風雨に見舞われた。神学校も含めた新入生50名に、嵐の中にも、赤江弘之理事長から、「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」とメッセージをいただいた。政治の混迷と経済の低迷、そして生活不安の日本社会にあって、聖書に与えられている「希望」を人々にはっきりと分かち合うことが本学の使命であると励まされた。

春の嵐の入学式にも予想以上の参列者を得た。いつもながらではあるが、新入生の父母や所属教会牧師と信徒たちが入学式に駆けつけてくれる。本学の学生にとっても教職員にとっても、このことは大きな励みとなる。祈られ支えられていることを実感する。特に、今年は「春の嵐」の中で、駆けつけてくださったのだ。暴風雨を押して、「出て来られた」のである。新入生たちのことを思い、気づかい、励まそうとして。一方、学生や教職員はいわば内にいる者たちで、嵐に中でも学内で入学式を待つことができ、風雨を押して出てくる必要はない。いつしか、暴風雨の中にいる人々の傍観者となってしまっている自分に気づく。

先日、ビジネス界でクリスチャンとして良き模範を示されたご夫妻にお会いする機会を得た。キリスト教精神をもって、人々の必要に仕え、聖書の真理に則って仕事に励む時、会社は信用を得て成長することを学んでこられた方である。その方との語らいで気づかされたことは、教会であれ会社であれ、「内向き」で「待つ」組織は硬直して成長を妨げるということである。人々を「待つ」のではなく、人々のところに聖書の希望の「グッドニュース」を携えて「出かけて」ゆく者、人生の逆風にその歩みを妨げられている人々のところに、「出かけて」仕える者を、本学で育てなければならないと改めて覚えさせられた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)