「待ち望む」

2007年のキリスト教カレンダーでは、12月2日(日)より、「クリスマス・アドヴェント(待降節)」が始まりました。救い主キリストを心静かに「待ち望む」季節というわけです。家々で飾られているクリスマス・イルミネーションは、赤や青、金色の光が散りばめられて発光し、闇夜に美しい光景となり、人々を釘づけしています。家庭内での殺人事件が毎日のように報じられる暗き社会に、「いのち」を与え、「いのち」を育み、「永遠のいのち」をもたらす、「人の光」であるイエス・キリストが、いよいよ覚えられ、その光が人々の心に家庭に灯されることを願います。

11月30日(金)には、本学園恒例の「メサイア・コンサート」が上演されました。管弦楽団と、卒業生や学園クワイアのプロ・アマ混成による演奏は聴衆を魅了しました。ヘンデルによるキリストの降誕、十字架と復活、永遠のいのちの希望が、日本語で歌われ、キリスト降誕の意味と幸いを深く噛みしめる時となりました。演奏の最後には、聴衆と一緒にクリスマスの讃美歌を歌うのも恒例で、演奏者と聴衆が一つとなって、キリストを覚えて待ち望む賛美は感動でした。長年クワイアを育ててこられた天田繋氏(本学特任教授)の指揮と演奏者の息がピタリと合って、その麗しさもまた伝わってきました。

歳末にかけて忙しく、慌しい12月。目先のことに汲々となる日々に、「静かに待ち望む」という季節が一方にあることを覚えたい。「待ち望む」とは、その向こうに「確かな約束」を覚えてのことである。殊に、キリスト教においては、キリストにおける「罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえのいのち」への希望に満ちている。その希望は失望に終わらない。「待ち望む」は信仰に通じ、その信仰は、十字架でいのちをかけてわれらの罪を贖ってくださった「キリストへの礼拝」(クリスマス)へと導くものである。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)