「大暴風の中にも」

謹賀新年。 2009年の元日は晴天のもと、新たな時を刻み始めた。関東地方は年末年始と天候に恵まれているが、北風が肌身を突き刺さし、寒さを身につのらせる。東北・北陸地方に「雪」を降らせ、その寒風が「激しい突風」となって、関東地方に吹き下ろしているのだろう。ふっと、弟子たちが主イエスにうながされてカペナウムからゲラサの地へと、ガリラヤ湖を渡る聖書の場面を思い起こす(マルコ4:35-41)。その途中、ガリラヤ湖は「大暴風」に襲われ、彼らの舟は波をかぶって行く手を阻まれ、舟は水でいっぱいとなっておぼれ死ぬ危機に弟子たちが遭遇する出来事である。 彼らのパニックが伝わってくる。彼らの幾人かは漁師たちで、この湖をかつて生計の場としていたにもかかわらずである。

昨年は、米国発の「大暴風」が金融業界から起こって世界中を駆け巡り、先進国も途上国もともに大波に飲み込まれた。金融・産業構造のグローバル化に伴い、もはや一国の経済危機が一国のみに留まらず、世界経済に深刻な事態を招来させる。今も、この大波に晒されている。日本においても株安・円高の中で、企業の非正規社員のリストラと内定取り消しの嵐が吹き荒れ、失職のみならず生活の場である住居さえ確保できない事態に追い込まれた。この経済危機は教育現場にも忍び寄っている。学費の払えない在学生や、入学許可が出ても入学金や当座の学費の工面がつかずに入学辞退を余儀なくされる受験生が出てきた。少子化での大学受験生の漸次的な減少の中で、この経済危機は大学運営にバブルパンチとなって、大波の高さをさらに増すものとなっている。

「心が騒ぐ」状況は、かの弟子たちの心境と何ら変わらない。なじみの場所であるにもかかわらず、私たちも「おぼれて死ぬ」という焦りと不安に駆り立てられる。けれども、この出来事は、そのような大暴風の中にも、大揺れの舟の中で、平然と眠っておられる主イエスに焦点を当てる。聖書は、大暴風の中にも、主イエスの臨在を覚えること、そして、この大暴風をコントロールされる主イエスへの信頼を培うことを教えている。かつて、仕事に奉仕に疲労困憊した預言者エリヤに主なる神は、激しい大風と地震と火の後に、「かすかな細い声」を聞かせた(1列王19:12)。大暴風が吹き荒れるであろう中にも、それに翻弄されずに、主イエスのご臨在とそのご主権を信じて、つねに「かすかな細き御声」に耳を傾けたいものである。「イエスは彼らに言われた。『どうしてそんなにこわがるのです。信仰のないのは、どうしたことです。』」(マルコ4:40)