「呼び出され、呼び出す働き」

新年1月も駆け足で過ぎてゆく。アッという間の一ヶ月ということだろうか。ある記事に、「一年中で最も憂鬱な日」は、一月の第三週であるそうだ。曰く、「暗く寒い冬が続き、楽しい休暇は過ぎ去り、クレジットカードの請求書が届きます。はりきって立てた新年の誓いは、ことごとく破ってしまいました。」と。心当たりがあるやなしや。でも、日本の学校では今が受験シーズン真只中。受験生にとっては「憂鬱な日々」も許されない時期でもある。本学もこれから第一期の一般入試(2月8日)を控えている。2月と3月が多くの受験生の進路を決する時期とも言えよう。

志望の大学を選ぶとか進路を決めると言うとき、何をもってそのように決めるのかは色々あるだろう。将来への志を持っている人もいれば、まだはっきりとはわからないが、自分の個性や特性を伸ばせるところへと心を向けるかもしれない。もちろん、受験である以上、高校までの学力がその決定に大きく影響することは言うまでもない。本学の入試の特徴の一つに「面接」がある。志願者と「顔と顔」とを合わせて、試験官は志願者を全人的に知ろうと努める。キリスト教世界観による教育を目ざす本学では、志願者の中に、「人の思いを越えて呼び出されている」という感じをもつ学生を求めている。「来て、そして、見なさい。」(ヨハネ1:46)に応答する学生である。

入試の一方で、卒業予定の学生にとっては、この時期、社会へと巣立つ備えの時である。入学のときに、「呼び出されている」と感じていたものが、学びと生活を通してより具体的に意識づけられ深められて、それが社会への使命となって巣立ってほしいものである。「呼び出されている」という意識をもって社会に奉仕する卒業生は、「呼び出された方」を意識した生き方を通して、関わる人々をその方へと「呼び出す」働きをなす者とされるのではないだろうか。本学の使命は、「呼び出された」者をそれに相応しく教育して、「呼び出される方」に人々を「呼び出す働き」へと送り出すことにあると言えよう。「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4:1)