「動と静」

6月となり「衣替えの季節」を迎えた。蒸し暑さも加わり入梅の季節でもある。季節の変わり目や物事の移行期には何かと体調の変化や精神的な変調をきたすようである。日本は四季がはっきりしていてそれぞれに趣があるが、私たちの生活には四季折々を受け止め、味わい、楽しむというより、一年中同じパターンで過ごすことが多く、しかもその性行は大方「動」である。確かに、休暇は多くなったけれども、その過ごし方はやはり「動」の傾向が強い。どこに行っても人で溢れ、次を求めて動き回っている。

当大学の学生たちも、若いこともあって、実によく「動き回って」いる。とにかく忙しい。学びと寮生活、サークル活動と日曜日の教会実習、そして、学校や学生会主催の諸行事と次から次へと「突き進んでゆく」感がある。そんな忙しさのなかでも、一日の内で色々な「動」を休止して、「静」となる時間を強いて設けている。「チャペル」のひとときがそれである。さらに、4月の入学式から突っ走ってきた学びと寮生活を一時休止して、ほっと一息つく「静」のときを学期ごとに設けている。それが「学園祈祷日」である。

動の中に静を設ける。今日の私たち人間にはとても必要なことだと思っている。それは、単に「休息」のときだけでなく、これまでの動きを顧みてこれからの動きを考える「内省」のときであるからだ。キリスト教においては、単に自らに問う以上に、聖書と祈りを通して、キリストのことばに聞き、神の御旨を求めるときとなる。だからこそ、「チャペル」であり、「学園祈祷日」となる。忙しく動き回る中でこそ、祈り静まるひとときが人間には最も必要な事柄であると自戒を込めて思わされている。「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」(ルカ5:16)