「ディアスポラ」

最近、「グローバリゼーション」という用語が特に目につく。交通網や通信技術の急激な発展にともなって、国や民族の垣根を越えて、経済や文化が世界規模で互いに深く関わり合い、強く結びつく社会となる過程を言う。それは単に、物や情報が行き交うばかりでなく、「人々」の往来の数と頻度が大きくなっていることを意味している。人々の移動にも様々な事由がともなう。戦争や紛争などの政治的理由により国を追われて「難民」となる人々もいれば、外国での労働という経済的な理由で「移民」や「国外労働者」として国を後にする人々もいる。さらには、自然災害のために居住地をよそに移らねばならなくなった人々もいる。

この二週間、本学にお招きした二人の特別講師から期せずして「ディアスポラ」という用語が発せられた。日本語では「離散の民」と訳出されて、特に、故郷パレスチナ以外の地に住むユダヤ人のことを言う。この言葉はギリシャ語に由来し「散らされた者」という意味だが、これが新約聖書のペテロの手紙第一に登場し、現在のトルコにかつて「散って、居留して」いたクリスチャンに当てはめられ、「クリスチャン・ディアスポラ」としても覚えられた。この用語が今日、「本国を離れて外国に何らかの理由で居住している人々」を指すものとして使用されている。世界の様々な国の中に本国を離れて住んでいる人々を「ディアスポラ」として見ているわけである。

一人の講師が、「アジアのディアスポラ」としてフィリピンの例を上げられた。フィリピン人の海外労働者の数は776万人(2003年)、その内訳は、米国に260万人、サウジアラビアに97万人、マレーシアに42万人、日本には30万人である。興味深かったのは、サウジアラビアやマレーシアというイスラム圏にキリスト教国と言われるフィリピンからの労働者が多数働いていることである。グローバリゼーションは、私たちの世界を多文化社会や宗教多元社会へと導く。宗教的価値観の交流が益々盛んとなってゆくに違いない。交流が盛んになればなるほど、そこに摩擦も生まれる。世界に散らされている「クリスチャン・ディアスポラ」の役割が真に問われる時である。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)