「キリスト教リベラルアーツ教育」

今どこの大学でも「オープンキャンパス」と銘打って受験生たちに大学を見てもらおうと、色々な企画が繰り広げられている。オープンキャンパスは、受験生たちに大学の特徴なり教育目標をしっかりと知ってもらうことにある。本学もすでに二回行われ、受験生たちが緑豊かなキャンパスを訪れている。学生の有志たちが彼らのお兄さん・お姉さん役となってサポートしてくれることはありがたい。とはいっても、やはり彼らにしっかりと本学の特徴を知ってもらうことこそ、私たちが願うことである。

そこで、学長挨拶や学部長挨拶の中で繰り返し強調されることは、本学が「キリスト教リベラルアーツ教育を土台にして、神学、国際キリスト教学、キリスト教福祉学を提供し、教会と社会に仕える働き人を育成する」神学大学であるということだ。しかし、「キリスト教リベラルアーツ教育」は、あまり耳に馴染んでいないものである。「リベラルアーツ」とは、古代ローマにおいて将来の統治者を育てる教育(自由市民の学術)と言われている。人文・社会・自然の各分野に対する幅広い教養を身につける人格教育のことであるが、そこに「キリスト教」とつくのは、生活と学問のあらゆる領域に、全世界を、また、全人類を創造されたキリストの主権を認めることを意味している。

今週、米国シカゴ近郊にあるホイートン大学のデュアン・リトフィン学長をお招きする機会を得た。この大学は、もうすぐ150年の歴史を擁するキリスト教大学である。また、キリスト教リベラルアーツ教育を熱心に求め、保ち、米国のあらゆる分野に有能な卒業生を送っている。リトフィン学長曰く、「学士課程教育は、職業準備教育ではなく、キリスト教世界観に立つ幅広い教養を身につける人格教育である」と。あらゆる学問領域にキリストの主権を認める教養教育の上に、職業専門教育が行われる必要を強調されておられた。日本と米国の文化的・社会的環境の違いを考慮しても、示唆に富む発言である。本学のモットーである聖書のことば、「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」(コロサイ3:11)は、まさにキリスト教リベラルアーツ教育を指し示すものと言えよう。