「クリスチャンへの見方」

1月29-31日の三日間、米国ワシントンでのキリスト教大学協議会(CCCU)主催の学長会議に出席した。会場は、連邦議会議事堂(Capitol)近くのホテルで行われ、33回を数える。キリスト教大学の学長たちが年に一度集まり、互いの情報を交換し親交を深め、直面している課題をともに考え話し合う場である。本学も国外賛助会員として加盟しており、米国加盟校からの短期(一学期)留学生を毎年受入れている。今回の参加者は約160人で、国外からは11大学の学長が参加していた。主題は、「焦点を絞って、世界を変える」であり、急激に変わりつつある世界にキリスト教高等教育はどのように対応し、どのような貢献が求められているのかを探るものであった。

興味深く覚えたのは、主題講演の一つである「若い世代はキリスト教をどのように思っているのか」で、デイビッド・キナマンが自分のベストセラーとなった本をもとに10代後半から30代前半の米国の若者たちのキリスト教観を調査・分析したものである。彼らのキリスト教の受けとめ方は、「性急に判断しがちで」、「同姓愛に反対であり」、「偽善的で」、「あまりにも政治的な色彩が濃く」、「世から隔離された」ものと映っているという。これは米国の若者の例であるが、日本の同世代の若者には果たしてキリスト教はどのように映っているのだろうかと考えさせられる。全く同じではないにしても、共通項は大いにあるのではないか。

キナマンは、キリスト教が人々にどのように受けとめられているのかに無頓着であったことを反省しつつ、これまでの教会の活動やクリスチャンの生活が実際に「キリスト教的でない」のではなかったのかと迫る。そして教会やクリスチャンの信仰が聖潔だけに焦点を当てるのではなく、彼らを取り巻く世界を知るような「愛と受容を働かせる信仰」こそ必要なのであり、それこそ聖書的なキリスト教ではないのかとチャレンジする。「多く赦された者は多く愛する」というイエスの教え(ルカ7:47)で締めくくっていた。日本の若者にどのようにキリスト教が受けとめられているのか、さらに耳を傾ける必要を覚えたことである。「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラ5:6)