「老元宣教師との出会い」

学長ブログも3年目を迎えるが、4月15日以降、少し手を休めてしまった。4月下旬から5月上旬の1ヶ月は、マレーシアへの出張や大学自身の「新しい教会教職養成課程」への取り組み、また、新型インフルエンザへの危機対応など目まぐるしく動かねばならなかった。そのような中で、貴重な出会いが幾つかあった。一つは、マレーシア出張中の飛行機での出会いである。隣に坐ったイスラム青年との会話が弾み、彼が、「クリスチャンの日本人に初めて出会った」としみじみと私に言われた。とても紳士的な青年で、互いの「信仰」について率直に意見を交換することができた。もう一つは、今回本学の「世界宣教講座」にお招きした講師で、クリスチャンでユダヤ人の方との初めての出会いである。

恒例の「世界宣教講座」であるが、この講師を知ったのは卒業生からの推薦であった。その卒業生は本学の「アジア神学コース」に在籍した留学生で、現在母国で働いているインド人である。その講師は英国の国籍を持っておられるが、彼の祖父の代にドイツから英国へと渡ったと聞く。もちろん、かつてのホロコーストを親族は経験しているが、彼が大学生の時にクリスチャンとなったという。1960-1970年の10年間、特に、タイ、マレーシア、インドネシアで宣教師として働かれ、その後、英国のAll Nations Christian Collegeで教鞭をとって、異文化で宣教に携わる人々を育てている。75才と高齢であるが、学生たちへ温かい眼差しを向けつつ、彼らの心を宣教へと燃やされた。毎回の講義が例年になく盛況であったのも肯ける。

講師が、クリスチャンのユダヤ人というところに、これまでとは違う新鮮さを多く覚えた。講義の中でよく出てくる問いは、自分がクリスチャンであり、ユダヤ人であるとはどういうことなのか。教会の歴史で培われてきた神学が、いわゆる、欧米人のものの見方や考え方に深く負っていることの中で、イエスや弟子たちがユダヤ人であったことから、もう一度ユダヤ人としての視点で聖書に向かい、聖書を読み取ろうとされているように思えた。印象深く覚えたのは、「食する」という行為の重要性であった。ユダヤ人にとって、何を食べるかが大切であるけれども、さらに、誰と食べるかがもっと大切で、食事の交わりは終末論的意義を持っているとさかんに強調しておられた。イエスが収税人や罪人たちとさかんに食事をしていた意義は大きいと改めて覚えさせられた次第である。「あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。」(マタイ8:11)