「篠崎桂之助君の碑」について

2022年9月1日

今から150年前の1872年3月10日、日本人を会員とする最初のプロテスタント教会である日本基督公会(現日本キリスト教会横浜海岸教会)が設立されました。篠崎桂之助はその日の受洗者9名のうちの一人で、同教会設立につながる初週祈祷会の発起人です。彼の祈りの提案から日本のプロテスタント教会は生まれたことになります。その意味では「篠崎桂之助君の碑」は「日本のプロテスタント教会発祥の記念碑」と言ってもよいものです。

篠崎桂之助は旧幕臣です。会津の井深梶之助は彼によって新政府への遺恨を捨て、原胤昭は病床の彼に励まされたそうです。肺を患い1876(明治9)年に24歳で亡くなります。墓を建てたのは、共に洗礼を受けた櫛部漸すすむです。櫛部は築地のフォールズの病院の医師でした。のちに植村正久も篠崎の墓の手入れをしたそうです。

碑は、櫛部芳子氏から本学に寄贈されました。芳子氏の夫忠一氏(故人)は漸の曾孫にあたります1。東京都の谷中霊園(甲新12号50側)から8月23日に移動しました。高さ160㎝、幅100㎝、厚さ13㎝。漢学者でメソヂストの中村正直(敬宇)の撰文、書家の平山省斎の篆刻で、以下のように記されています。

篠崎桂之助君之碑
(現代語訳)

君名桂之助篠崎氏号桂香父具良仕
君、名は桂之助、氏は篠崎、桂香と号す。父と具に良く幕府に

幕府君性敦厚好学勤勉超群童十九
仕う。君、性は敦厚にして学を好み、勤勉群を超す。童十九

歳至横浜就米国教師抜拉氏学英書
歳にして横浜に至り、米国教師バラ氏に就きて英書を学ぶ。

迨日本聖教会始立君被選為長老誠
日本に聖なる教会を始めて立つるにおよび、君、長老の為に

心任職多所裨益衆咸属明治九年
選ばれ誠心任職し咸(かん)属(皆輩)に裨益する所多し。明治九年

九月二十五日病没距其生嘉永五年
九月二十五日病没距す。其生は嘉永五年

五月十五日享年二十有五葬于谷中
五月十五日、享年二十有五、ここ谷中天王寺に葬る。

天王寺其友人属余銘其墓銘曰
其の友人属余銘す。其墓銘に曰く

少年好道 長老効職
少年道を好み 長老の職を効す

霊兮不滅 永傍講席
霊兮不滅にして 永く傍に講席す

明治十二己卯六月
中村正直撰
平山省斎篆額

(2022年8月23日 学長 山口陽一)

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