2016年4月5日入学式説教「幻を抱いて歩む」 理事長 廣瀬薫

2016年4月15日

箴言29章18節「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」

入学生の皆様、ご入学おめでとうございます。本日ご出席の関係者の皆様、心から御祝い申し上げます。また在学生、教職員の皆さん、新しい仲間の入学を心から喜び、お祝い致しましょう。

理事長として、TCUは宝であると案内して来ました。TCU支援会パンフレットにもそう書いてあります。「宝をともに育ててください」。TCUは日本のキリスト教会に神様が与えて下さった宝です。皆さんの宝だと思って下さい。その宝に入学した学生の皆さんは、宝の一部に加わった、皆さんも宝です。自分たちは、尊い宝だと自覚して下さい。

TCUの理念は、聖書のキリスト教世界観に立って神の国を造る人格の育成です。神の国を担う人格を育てて、地上に御心が成る事を目指しています。今日入学式で開いた御言葉は、今年の東京基督教大学の聖句、説教題は、今年の東京基督教大学のテーマとして、選ばれたものです。

TCUのビジョン

「幻を抱いて歩む」。これは今の私たちの状況を表したテーマです。学園はどんなビジョンを持っているか、今取り組んでいるプロジェクトを紹介致します。
「第一次神の国に仕えるプロジェクト」という名前です。TCUが目指す夢が10個、書かれています。夢がどちらを目指しているかを、タイトルがまとめて表現しています。
「関わる皆に神様の祝福を取り次ぐ喜びを共にするTCU」です。大きな項目が5つあって、それぞれの内容が2つずつで、10項目です。

<教職員>

1:教職員は、建学の精神に立ってTCUで働くことに感謝と喜びをもって活き活きと仕事をする。

2:「神の国に仕えるプロジェクト」に教職協働で取り組み、向上し続けるTCUを次世代に継承する。

<学生・保護者・卒業生>

3:学生は在学中に霊的・知的・精神的・生活的全方面で、全人格的に見違えるように成長する。

4:召命に応えて献身した卒業生は、聖書のキリスト教世界観に立って神の国を造る器として活躍する。

<青少年・社会人>

5:神の国の最善の働き人を育成する大学として、多くの青少年と社会人が目標とする進路となる。

6:キリスト教主義学校やチャーチスクールは、TCUの協力により生徒への伝道が進む。

<教会への貢献>

7:卒業生が仕える教会は福音の包括的な力を現し、地域の祝福の拠点となり、青少年が大勢集まる。

8:研究と教育が信頼と尊敬を得、各神学分野の貢献と信徒教育が、全キリスト教界を活性化する。

<支援会・キャンパス・地域と社会への貢献>

9:TCU支援会が全県及び海外に展開し、支援者に喜びと深い満足をもたらす。

10:神学と宣教と教会音楽の聖地としてTCUは魂の巡礼先となり、地域への宣教も進む。

ここへ来ると、成る程確かに神様がここにおられると分かるキャンパスでありたいと願っています。人々が喜んでここに来る。すると沢山の人が来るようになって、大学前にバス停が出来るという野望も抱いていますが、とにかく、これが今、昨年から私たちが取り組んでいるビジョンです。私たち、というのは、教員職員理事ですが、これからは段々と学生の皆様にも、このキャンパスが神の国の拠点としてより良くなって行くように、協力して働く仲間になって頂きたいと期待しています。

皆さんのビジョンは何か?

さて、今日入学した皆さんのビジョンは何でしょうか。

私は教会でよく、「3ポイントのキリスト教ではなく、4ポイントのキリスト教」である事が大事です、という話をします。3ポイントのキリスト教というのは、①神、②罪、③救い、というキリスト教です。神様がいます、あなたには罪があります、イエス様が救い主です、というキリスト教です。それはそれで正しいのですが、それだけだと一つ足りないと思っています。何が足りないかというと、救われた後、どのように生きて行くか、というビジョンが入っていないのです。救われて洗礼を受けたらゴールインと思ってしまう。本当は洗礼は信仰生活のスタートです。それなのにゴールにしてしまうと、確かに救われた喜びはある、が、その後どのように生きて行けばよいか分からないので、信仰と実生活が別々のものになってしまいます。日曜日は信仰深いが、月曜日から土曜日は、全然違う原理に立って生きている。これを二元論と言いますが、これでは物凄いストレスに満ちた信仰生活となります。キリスト教は3ポイントではなく4ポイント、救われた後が大切です。①神、②罪、③救い、そして④聖書のキリスト教世界観に立って神の国を造る人格として生きていく、という、喜びに満ちた、素晴らしい生き甲斐に溢れた、人生があるのです。キリスト教は救いも大事ですが、救われた後も大事です。

同じく、TCUも、入学する事は大事ですが、入学した後が大事です。これから皆さんは、聖書のキリスト教世界観に立って神の国を造る人格として生きるための、大切な学び、生活、一生涯続く成長の土台を据えて、神の国に向かう大切な時を過ごすのです。

具体的には皆さんは何をビジョンとして目指して行くのでしょうか。

教会で、新しく洗礼を受けた方がよくする質問があります。それは、これからクリスチャンとして何をして生きて行けば良いでしょうか、という質問です。そういうクリスチャンとしての具体的実践を考えるのはもちろん大切です。が、その前に忘れてはいけないことがあります。根本的に大切なその一つを今日はお話致します。

根本的に大切なこと

これから何をして、そして何をしないで生きて行けばよいのでしょうか、と質問される時、私は次のように答えていました。神様があなたに望んでおられることは、ただ神様を心から喜んで生きて行くことだけです。それ以外に聖書が、あるいはそれ抜きで聖書が、こうしなければならないとか、これはしてはいけないとか教えている事は、一つも無い、と私は思っています。

牧師としての私は、信徒が何をしたとしても、何をしなかったとしても、心から神様を喜び、神様を愛し、救い主イエス様と共に生きて行こうと求めて下さるならば、それで心から満足です。

今日入学した皆さんにも同じ事を申し上げておきたいと思います。

TCUに入学して、これから何をすればいいのか。何をするにせよ、何をしないにせよ、その全ての前に、土台に、父なる神様、イエス様、聖霊様、三位一体の神様を心から喜ぶ、神様との人格的な交わりの喜びを大切にして下さい。極論すれば、それが全てだ、と言ってもいい程だと思っています。神様を喜ぶ事を、決して忘れないで下さい。

心から神様を喜んで生きると、聖書の記す通りに生きるようになります。イエス様と同じ質を持った実践を、自分からするようになります。しかも自分の力によってではなく、内住の聖霊の命に活かされてするようになります。聖霊によって、イエス様に似た存在になって行きます。

逆に神様を喜んでいないと、何をしても何をしなくても、それがいわゆる「律法主義」に陥って行きます。同じ事をしているようでも、神の国の行いとこの世の行いは違います。地上で同じクラスに出席し、同じ寮に生活し、同じ事をしていても、その人を活かす命の質が変わってしまうので、注意が必要です。

私たちは、この世の人がいいとか悪いとか評価するのとは違う、神の国の命に生かされていることを忘れないようにしましょう。いつもどんな状況でも、心に神様を喜ぶ喜びが満ち溢れている、この基本を大切にしましょう。

神様を喜ぶことがしっかり土台にあると、あらゆる実践の質が変わります。どう変わるかというと、食べるにも飲むにも、神の栄光のために、と聖書が言う通りになります。教室にいても、食堂にいても、寮にいても、教会にいても、全て神の栄光のために、となります。このチャペルのパイプオルガンに、soli deo gloria(ただ神にのみ栄光)と書かれている標語の通りです。

マザーテレサは、死に行く人々の最後のお世話を丁寧にした働きで有名ですが、道徳としてそういうお世話をしたのではありません。そうではなく、その人の中にイエス様のご臨在を見、そこにイエス様との交わり、イエス様からの命の養いを経験していたのです。神様を喜ぶ人は、奉仕の実践の場に、イエス様が見える経験をします。私たちで言えば、教室にいても、食堂にいても、寮にいても、教会にいても、そこにイエス様との出会いがある。どこでもいつでも、イエス様から命の養いを受ける経験をするのです。

すると、例えば奉仕の働きが、人に仕えるのではなく、主に仕えるように、と聖書が言う通りになります。

大学で神様を喜ぶ生活をする心構え

最後に、そのように神様を喜ぶ生活をして行く時、ここは大学ですので、大学特有の心構えもあります。それは色々あり得るのですが、私は一つだけ、上げておきます。それは、本を沢山読みましょう、という事です。

私が大学に入った時、40年前ですが、ある評論家が、大学新入生へのスピーチの中でこういう事を言っていました。自分は、文系ならば、毎月5000頁以上読まない人は大学生として認めない。当時私は理系でしたので、聞き入れる必要はないと思ったけれども、その後8年間のゼネコンでのサラリーマン生活を経て、神様の召しを受け止めてこの学園に入って、文系の学生になってしまいました。その時に考えました。本を読むべきだ。しかし毎月5000頁は無理だろう。でもせめて1000頁は読もう。そう決めました。以来今日まで、私がこの学園に入学してから満348ヶ月になりますが、それを続けています。読書記録を見ると、今まで1954冊、44万5千23頁を読んで来ました。3月は9冊、2147頁。これは実はグローバルスタンダードに届いていません。

読書量のグローバルスタンダードはどの位かと言いますと。何年か前に日本経済新聞の記事に「4年間で1000冊、1日6~8時間がグローバルスタンダード」とあります。「日本の大学生は4年間で100冊しか本を読まないが、アメリカの大学生は400冊読む。ハーバードやエールでは1000冊は読む」「日本の大学生は授業以外の勉強時間が1日平均で1~2時間であるのに対して、アメリカの大学生は1日6~8時間勉強する」というわけで、大学のグローバルスタンダードは、4年間で1000冊、勉強時間は1日6~8時間、という事らしいです。

ちょっとエピソードを紹介致しますと、TCUで稲垣久和先生や岩田三枝子先生が研究しておられる賀川豊彦という、圧倒的な活動量で社会的実践をした牧師がいましたが、彼は大変な読書家でした。神学校時代、毎日1冊読むと決めていた。朝起きると本を読み、歩いている時も本を読み、食事の特も本を読み、風呂に入っている時も本を読んでいた。但しこの風呂で読むというのは、図書館の本がダメになりますから、皆さんは真似してはいけません。

賀川豊彦は神学校の授業にほとんど出ずに本を読んでいたようです。どうして君は授業に出ないのか、と聞かれて、授業で取り上げている本は全部とっくに読んでしまった、と答えたそうで、これも皆さんは真似してはいけませんが、とにかく本を沢山読んだ。

ついでに賀川豊彦は、外で病気の猫だか犬だかを見つけると、可哀想で世話をせずにいられなくて、神学校の寮に連れて来るので(本当に優しい実践をした人ですが、おかげで)、寮の賀川の部屋からは酷い悪臭が漂って来たという、これも皆さんは真似をしてはいけませんが、本を読んであれだけの博学を身に付けた賀川豊彦の読書への姿勢は、ぜひ学んで下さい。

この世の本なんか読まなくても、自分は聖書だけ読めばいい、と思う方もあるかも知れませんが、それならそれで、聖書を沢山読んで下さるといいと思います。

例えば、この学園に前あった東京基督神学校の校長の下川友也先生は、聖書通読を勧める本を出しています。その本の終わりに「最近の私の通読ペース」が載っているのを見ますと、一番少ない年で聖書を年12回通読。一番多い年で年24回通読しています。聖書は旧新約合わせて約2000頁余りです。つまり下川先生は、聖書だけで、少ない時で毎月2000頁、多い時で毎月4000頁読んで、それに加えて他の本を読んでいた訳で、これは理想的でしょう。(何だ、神学校の校長先生って暇なんだなあ、と思うかも知れませんが、そうではありません。非常な忙しさの中で聖書をこれだけ読み続けているのです。)という訳で、皆さん、聖書と本を読み続けると決めましょう。大学の読書のグローバルスタンダードをクリアしましょう。

ただ神様を喜んでいればそれでいいなどと言いながら、本を沢山読めなどと面倒な事を言うのは矛盾しているじゃないかと思うかも知れません。そうではないのです。今紹介したのは、神様を喜ぶ生活を神学校のキャンパスで実行した先輩たちの習慣なのです。キャンパスで聖書と本を沢山読む事は、神様をより深く愛する事とつながっています。使徒パウロは、牢獄の中で、いつ殺されるか分からない状況で、愛弟子のテモテに、本を持って来て欲しいと頼んでいました。大学生の時に、生涯学び続ける土台、生涯成長し続ける土台、生涯神様を喜び続ける土台を、手に入れて下さい。皆さんの学生生活の祝福を祈っています。

お祈り致します。

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