磯崎新氏が死去

磯崎 新氏(いそざき・あらた=建築家)が2022年12月28日午前10時半、老衰のため那覇市の自宅で死去されました。91歳でした。

磯崎氏の設計になるチャペルを有する東京基督教大学は、同氏が1989年7月4日の献堂式において語られた設計の理念を受け取り、伝道者を送り出し続けています。磯崎新氏は「神と言葉とその場所」と題して語られました。それは長いキリスト教建築の歴史のふりかえりに始まり、以下の核心部に至ります。

 「教会堂は(カトリック教会において)神の〈声〉を示現(ヒエロフアニイ)させる場でした。このために、光、音楽、図像などが、建築空間と同時に最大限に活用されたのです。プロテスタント派は、この神の〈声〉の示現を教化の手段とすることを拒否したのではないでしょうか。とすれば教会堂が重視されないのは当然です。建築史から消えてしまっている理由もここにあったのではないでしょうか。にもかかわらず、私はこの東京キリスト教学園のチャペルの設計を始めようとしているのです。手がかりをつかむため、福音派として布教活動をされている方々にチャペルの中に必要なものは何だろうという、まことに初歩的な質問を繰り返しました。そして、私の得た解答は、バイブル、そしてクロス、このふたつの要素以外はすべてマイナーなものばかりだと言うことです。とりわけ、伝統的に教会堂を埋める数々の図像的なシンボルは、無用です。そしてこのバイブルに記されている言葉を伝達すること、これが布教活動の唯一の手がかりであり、それ以外はない、と徹底して理解されていることです。伝達活動に一生を捧げられている数多くの先生方を前にして、まったくの部外者である私がこんな断言をしていいかどうか、間違っていれば一笑に付していただいてかまいません。そこでは〈言葉〉の伝達だけがなされる場所が要請されていたのだ、と考えられませんか。
 バイブルとはその〈言葉〉の源泉です。超越的な《言葉》であると理解してもいいでしょう。おそらくチャペルの中で語られるすべての言葉はすべてバイブルを参照しているはずです。伝道が福音派の主たる活動であるとお聞きしていますが、それも〈言葉〉を伝えることを手がかりになされています。そして、今必要とされているチャペルとは、そんな〈言葉〉が飛び交う場所です。ここには超越者である神を示現させるという、トリッキーでもあり、非理性的でもあるかつての教会堂の内部空間の仕掛けなんかいりません。裸の〈言葉〉さえ伝わればいい。(中略)
 以上、これから伝道へと旅立つ皆様方にとって、このチャペルは、根拠地や中継地の役割をするものでしょうが、それでもあらゆるロゴスの根源たる〈言葉〉が満ち、飛び交っている空間があったという記憶の手がかりとなる場所があるとすれば、こんなまどろっこしい廻り道をして設計した甲斐もあろうかと思います。」(『新建築』1990年2月号)

 

◆Profile

磯崎新(いそざき・あらた)1931年大分生まれ。1961年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。1963年磯崎新アトリエ創設。代表作は本学チャペルの他に、つくばセンタービル、バルセロナ・オリンピック・スポーツ・パレス、お茶の水スクエアなど。2019年建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞。