静まって、聞く。~コラム
中高生向けの聖書コラム「TCUだより」を、ブログ形式で公開しています。
皆さんがキリスト者として将来を考える上で、少しでもお役に立てれば幸いです。
こんばんは。この時期、受験生の皆さんはどのような気持ちで過ごしているでしょうか。今回のテーマは「静まって、聞く。」です。私は忙しい時、焦っている時、大きなプレッシャーを感じる時や、不安を抱える時、よく騒ぎます。人に助けを求めたり、もがくように頑張ってみたり、文句が出てきたり、祈りさえも騒がしくなる時があります。皆さんはどうでしょうか。神様の御業を見るためには静まって聞くことが鉄則です。このことを改めて心にとめましょう。
モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」(出エジプト記14:13-14)
海を分ける奇跡の直前、モーセが言った言葉です。当時の状況を思い浮かべてみると、前は海、後ろはエジプト軍。逃げ場がない上に、敵はどんどん近づいてくるという絶体絶命の緊迫した場面です。イスラエルの民がエジプトに残ればよかったと騒ぎ立てるのも当然だと思います。しかし、モーセがとった姿勢は主の前に「黙る」ことでした。「静かにする」とも訳されます。「主がこの場所で戦われる。私たちはただ静まって、その御業を見ようではないか」と民に呼びかけたのです。神様の御業を見るためには、まず自分を一度横に置いて、神様のみ前に静まることが必要です。
また、その次には聞くことです。モーセは神様の言葉を聞きました。「あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。」(出エジプト14:16)騒いでいるときには聞こえない、神様の小さな声を聞くことができました。それによって救いの道を知ったモーセは、言われた通りに行動して奇跡を見たのです。
クリスチャンである私たちは、困ったときに祈り求めるでしょう。私たちには、自由に父なる神様に祈り求めることが許されています。もちろん神様も聞いてくださいます。しかし、祈りとは神様への願い事を述べる場ではありません。交わりの場です。私たちは多くの言葉を並べますが、どれだけ神様の前に静まり、御言葉に耳を傾けているでしょうか。
この世界には多くの情報があります。日々やるべき事もあります。人からのプレッシャーがあり、その分の思い煩いもあります。大きな騒がしい声があふれた世界です。それらに揉まれて、時に疲れたり、何が良いものか分からなくなったり、焦りと不安に押しつぶされそうになったりします。でも、あなたを生かすものは良い成績ではありません。良い進学先、良い就職先、良い収入、良い評価でもありません。本当にあなたを生かすものは、真理です。真理はあなたを自由にします(ヨハネ8:32)。この真理を知るためには、一度自分のことを横に置いて、主の前に静まって御声に耳を傾けることが必要です。少年だったサムエルが素直な心で主の声に答えたように、私たちも答えたいと思います。「お話しください。しもべは聞いております。」(Ⅰサムエル3:10)