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第4回 A-2 研究会 医療・看護とスピリチュアリティ、そして日本的‟思いやり”倫理

2015.10.10|TKP 御茶ノ水ガーデンシティ

 

発題:

黒住 眞氏|日本思想史、比較思想宗教/東京大学大学院 総合文化研究科 教授

小松優香氏|国際関係論、公共哲学/筑波大学 人文社会系 准教授

 
まず黒住眞氏が「近現代日本の霊性と幸福の位置付けまた今後の可能性」と題して発題されました。 世界史的に大摑みにして、中世まではトマス・アクイナスにしろ朱熹にしろ、コスモス・自然をベースにしながら超越を位置づける宇宙論があったのですが、近代以降はそれがなくなった、と指摘します。日本では大正期頃までは霊性論は天人相関のうちにあったのですが、岩下壮一(1889−1940)は、ギリシア哲学における「精霊」がアウグスティヌスによって「聖霊」論に浄化した構造を指摘し、その神学は「幸福」「愛」によって位置づけられると言います。20世紀後半に展開した多くの哲学は宇宙における位置付けを欠き、個別応用論のみを展開していますが、東日本大震災後の体験は、超越において幸福を位置づけることが必要とされ、現代日本においてもはっきりした宗教をもたなくてはならない時に来ている、と話されました。

小松優香氏は、神谷美恵子を通じて「スピリチュアル・ケアと日本的思いやり」を論じられました。 神谷はキリスト教の家庭に育ちますが、仏教にも触れ、結核療養中にギリシア思想にも触れて宗教の深みに入っていきます。「もし人が自分で苦しんで生きる道を求め、新しい足場を宗教に発見したとすれば、その発見はその人の心の世界を内部からつくりかえるに違いない」と語っています。苦しみの底にある人は、時間の経過とともに、そして肉体の生命と共に、残された時間を苦しみと融和していきます。そしてそのような経験をした人は、「心の深さ」をつくり、別の角度から「ものの深い見方」をします。神谷はらいの療養所に精神科をつくったのですが、そこでは患者の悩みを聴き処方するだけでなく、病者に会い、共に散歩をし、雑談し、病者の詩を読んだ生活人であった、と言います。スピリチュアルケアには対話が不可欠ですが、神谷は入所者に第三者として対峙するのではない二人称の立場で接しており、このような「ケアされる側」(弱者)の視点に立つ行為を行うことは日本的思いやりと呼べるのではないか、と語られました。 (記・稲垣久和)
 

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