今年、信州夏期宣教講座は第17回を迎えます。地方伝道をしながら、腰をすえて日本宣教の根本課題に取組もうと始めた会が、よく続いて来ました。
7月20日、「教会の戦後責任・和解責任」と題して行なう講座のエクステンションを、日本キリスト教会大阪北教会で行いました。登家勝也牧師が「教会にとっての歴史的和解」と題し、総括的に説得力のある講演をして下さったので、私は助かりました。「列福と和解ーキリシタン弾圧と日本」という講演をさせていただきました。
さて、今夏の講座は8月24日(月)〜26日(水)、会場は例年通り上田市霊泉寺温泉中屋旅館です。「教会の戦後責任・和解責任」をテーマに、以下の講演が行なわれます。
1、袴田康裕「ウエストミンスター信仰告白における戦争と平和〜教会の国家に対する責任をめぐって〜」
2、安藤 肇「日本基督教団の戦争責任〜アジア諸国との関連で〜」
3、登家勝也「"戦争" に関わる旧約聖書釈義の学び」(ゼミ形式)
興味ある方は、菅原正道牧師までお問い合わせください(0268-44-2216)。
masamayu@seagreen.ocn.ne.jp
また、今夏、11冊目のブックレット『キリスト教の平和論・戦争論』いのちのことば社が出版されます。
東京基督神学校を卒業した後、米国のアズベリー神学校に留学した中川信嗣氏から質問を受けました。「キリシタンは火葬でしたか土葬でしたか?」と。土葬ですとお答えしたものの、実例をほとんど知らなかったので、少し調べてみました。
キリシタンの墓が学術的に発掘調査された事例は2例しかありません。一つは大阪の高槻城遺跡における27基、もう一つは東京の八重洲北口遺跡の10基です。高槻では、高山右近が領主の時(1573〜1585年)城内に礼拝堂を建て、その一画を墓地としたと思われます。すべてが木棺に納められ、棺蓋上に二支十字の墨書や木製のロザリオが発見されました(『高槻城キリシタン墓地』高槻市教育委員会、2001年)。八重洲北口では一基から青銅製メダイとガラス製ロザリオ(49玉)・木製ロザリオ(2玉)、別の一基からガラス製ロザリオ(1玉)、さらに別の一基から木棺に十字の墨書が発見されています。これは1590年代から1605年のものと推定されています(『東京駅八重洲北口遺跡』森トラスト株式会社、千代田区東京駅八重洲北口遺跡調査会、2003年)。すべて土葬でした。
高山右近領の高槻はよくわかるとして、丸の内のキリシタン墓地は、いったいどういう人々を葬ったのでしょうか?何れの発掘成果も2000年代に入ってから発表されているものです。今後も遺跡調査に伴う、キリシタン墓地の研究に期待したいと思います。ちなみに、中川氏は留学を終えてすでに帰国しました。
今年は、満濃キリスト教会への夏期伝道に参加して香川県に行ってきました。学生たちの車に同乗して12時間、初めて淡路島を通って四国に入りました。日本長老教会の満濃キリスト教会は設立5年、中村寿夫牧師ご夫妻を迎えて礼拝堂も建築し、伝道に励んでおられました。
12日(日)には、礼拝の説教と午後の講演会を担当させていただきました。「讃岐で考える日本プロテスタント宣教150年」と題して行なった講演会には、卒業生の牧師方が集まって下さり、思いがけず同窓会ができました。畑先生、新垣先生、桑原先生、白石先生、ありがとうございました。
チームは私を含めて6人、私は一足先に帰りましたが、今年の夏期伝委員長の中村君をリーダーに、さらに一週間の働きが続きます。がんばってください。
帰りがけに瀬戸大橋を渡って日本聖約キリスト教団の広江聖約教会に立ち寄りました。吉岡先生は15000枚のチラシを用意して、夏期伝チームに大きな期待。熱烈指導下さり感謝いたします。さらについでに大阪の四条畷歴史民俗資料館で、2002年に発掘された田原城主、田原礼幡(レイマンの墓碑を見学して来ました。1581(天正9)年のもので、現存する日本最古のキリシタン墓碑です。フロイスの『日本史』にも記載のある人物の墓という意味で、まことに貴重です。同資料館のHPを是非訪ねて見て下さい。
幸田文の遺作『崩れ』(講談社、1991年)を読んだ。72歳の幸田は、ある時、安倍川上流の大谷崩れに足を踏み入れた。
「変な地面だと思った。そして、あたりをぐるっと見て、一度にはっとしてしまった。巨大な崩壊が、正面の山嶺から麓へかけてずっとなだれひろがっていた。なんともショッキングな光景で、あとで思えばそのときの気持ちは、気を呑まれた、というそれだったと思う」
そして、日本の崩れを見て周り、自分に訪れた印象をことばで綴って行く。百聞は一見に如かずというように、写真が一枚あれば、その崩れのおおよその様子は見ることができる。しかし、この本には一枚の写真も無く、ことばで崩れが語られて行く。そこで選ばれることばの確かさと豊かさはみごとというほかない。ことばの力に感嘆していると、次のようなことばに出会う。 「だが、ここで早くも困難に出逢っている。文字では、こうした大きな自然を書くことのできがたさだ。むろんそれは書く者の素養や、能力や精進の未熟によるものであって、書けなければやめて、書けることを書くほかないのである。でももう今は、ほかへ振替える気はない。この崩れこの荒れは、いつかわが山河になっている」
ここで私は、聖書のことばと向き合い説教を書く時の思いを、この幸田のことばに重ねずにはおられなかった。聖書が語りかけていることを私のことばで語ろうと苦闘するうちに起こること、それはまさに「いつかわがことばとなっている」ということであろう。
説教にパワーポイントによって映像を用いることも稀ではなくなった今日、ことばの力の貧弱と聴く力の衰えを、そうやって補うこともありうるだろう。しかし、あまりにも安易に逃げ出してはいないだろうか。ことばをもって啓示されたことを、ことばをもって伝えることに力を尽くすようにと、この本は励ましてくれた。
食卓エッセイで知られる太田愛人牧師を迎え、千葉県キリスト教史研究会の講演をしていただいた後、先生をご案内して原胤昭の墓所と手賀正教会を訪問しました。最近ではあまり食べられなくなった柿が、赤く熟して枝に残っている時節でした。「うまそうだなあ」とおっしゃった先生は、しかし、なっている柿ではなく、落ちた柿を拾い上げました。こういうのがうまい、といって実に美味しそうにほうばる姿に太田牧師の本領を拝見させていただきました。
「あなたは園のどの木からも思いのまま食べてよい」(創世記2:16)のですから、あらゆる木の実を食べてみようと思い、今年は庭の木苺をこまめに採取しジャムにしました。余勢を駆って、学校でナツグミも採集しました。これは渋くて、よいジャムにするにはさらなる研究が必要です。印旛沼公園で落ちるままになっている山モモも集めて来ました。農産物直売所に並べたいような山モモジャムができました。
