「廣瀬薫氏が新理事長に」

2012年は世界をリードする国々の指導者選挙の年である。注目のフランス大統領選挙は、5月6日に第2回投票が行われ、フランソワ・オランド氏が現職のニコラ・サルコジ氏を制してフランス大統領に選出された。実に17年ぶりの社会党からの大統領となった。また、ロシアも去る3月にドミートリー・メドヴェージェフ氏の後を受けてウラジーミル・プーチン氏が大統領に返り咲いた。そして世界の経済大国の米国の大統領選挙が11月に実施され、また、中国の国家主席の交代が待たれている。さらには「アラブの春」によってもたらされたエジプトの大統領選挙も今や世界の関心事である。世界情勢は指導者の交代等で、どのような舵が取られてゆくのであろうか。

指導者交代の年は、本学にも当てはまる。2期8年の理事長職を担われた赤江弘之氏が任期満了に伴い去る5月22日をもって理事長職を退任された。この時期の本学園はまさに激動の中の舵取りであったと思う。学園は世界に広がる経済危機と政治の不安定さの中で、小規模大学の生き残りをかけた経営努力に専心せねばならなかったし、加えて、学校法人に課せられた認証評価への対応に心血を注ぐ必要があった。その中で、「国際キリスト教福祉学科」と「大学院」の創設を生み、本学が目指す「キリスト教世界観に立つ神の国の働き人を育成する」というビジョンの実現と広がりに貢献してくださった。赤江前理事長の幾多の労苦に心から感謝を表したい。5月23日より、これまで常任理事として前理事長を支えてこられた廣瀬薫氏が理事長職のバトンを受け継ぐこととなった。

廣瀬薫氏は、ここ千葉ニュータウンのキャンパスでの卒業生である。国立からの引越しも経験され、また、四年制神学大学創立時に神学校の学生として在籍した経験を持つ。学生として、卒業生として、また、理事として、廣瀬氏は、本学の建学の精神と教育の使命について鋭い批評眼と具体的で建設的な意見をもって深く関わってこられた。5月29日の本学チャペルにて、「賢い建築家のように」と題してメッセージをされ、土台であるイエス・キリストをしっかりと人生に据え、この方を知り、この方についてしっかりと神学し、この方を人々に分かる仕方で伝えることができるようにと学生や教職員を励まされた。一回り若返った理事長として、その人柄と手腕に大いに期待するところである。神の器として豊かに用いられるようにと、ともに祈りに心を合わせていただければと願う。

「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。」(1コリント3:10)

「新しい事が」

 本学のホームページが新しくなった。そのため、ブログの更新が一ヶ月間待たされた。古いものが過ぎ去り、すべてが新しくなるのに時間をかけたというわけだ。というのも、これまで「東京キリスト教学園」のホームページであったが、これからは「東京基督教大学」として、新たなスタートを切った次第である。本学園の併設の神学校がこの3月末をもって62年半の歴史を閉じ、本学の大学院へと一本化された。17名の大学院生と教会音楽専攻科1名を加え、新入生58名(昨年9月入学のアジア神学コース6名を加えて)を迎えて、去る4月6日に入学式が執り行われた。桜がちょうど綻び始めた時期であり、新しく咲き乱れる矢先でもあった。1980年の三校合同以来の「一つの新校」が実現し、その最初の入学式となった。本学園の歴史の新たな一コマに身を置くことができ感慨無量である。

 本学のホームページもさることながら、これまで「学園報」であった学園の広報文書が、4月から「大学報」に模様替えし、さらに文字や紙面が大きくなって見やすくなった。本学の状況をできるだけ包括的にしっかりとお知らせしたいものだ。4月下旬には、米国シカゴ近郊にあるホイートン大学理事長のダビデ・ギーザー氏ご夫妻が本学を訪れた。ホイートン大学は、キリスト教リベラルアーツ大学として米国でも有名で、本学との歴史的なつながりが深い。前身校もこの大学の卒業生ダン・ホーク先生によって設立され、その理念と精神が本学に受け継がれている。キリスト教信仰と学問の統合を目指しつつ、日本と世界に聖書的な価値観と指針を示して生きる人物を育成するというものだ。3年ぐらい前に前学長のデュアン・リトフィン氏が本学を訪れ、昨年は二人の学生が短期留学生として本学で過ごした。新たな交流が生まれつつある。

 また、本学の同窓会も新たな歩みを始めた。本学創立から22年、前身校との継続とさらなる展開の中で、同窓会組織も適切なあり方を模索し、同窓生との交流や本学への支援などに関わって来られた。今回の同窓会役員改選で、本学の卒業生(本多守氏)が始めて同窓会会長となり、また、役員も多く本学の卒業生が占めることとなった。時を得た改選であり、今後の同窓会の働きに期待が高まる。昨年4月からスタートした「TCU支援会」も全国各地に広がりつつあり、その地区委員も前身校や神学校の同窓生とともに、本学の卒業生も主体的に関わりもってきている。本学の教育・教員組織の改編が、新しい出来事を生み出しつつある。もちろん、新しい事には、苦悩や問題もある。学生募集と学生指導において振るわれ、気を引き締めて一つ一つの事柄に当たらねばならない課題に直面させられている。けれども、新しいことが起ころうとしているこれからの歩みにおいて、「大いなることを神に期待し、大いなることを神のために企てる」本学でありたいと願う。

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)

「あれから一年」

3月9日(金)に総勢54名を送り出す卒業式を無事に終えた。最近また地震が毎日のように福島・茨城近辺で起こり、千葉の印西もそれを受けて揺れている。卒業式の間中、地震が起きないようにと祈りつつ、式を行わせていただいた。卒業証書を卒業生に渡し、お二人の祝辞の番になって少々緊張気味に耳を傾けながらも、一年前のその時の大揺れを思い起こさずにはおれなかった。今年は特に、来年度4月からの大学院(神学研究科)の設置にともない、62年半あまりの歴史をもつ神学校の「閉校式」も併せて予定していたので、すべてが無事に終了したときには安堵の胸をなでおろした。

3月11日が日曜日となり、教会の礼拝の中で、所属教団が一斉に心を合わせて祈る「東日本大震災から一年を迎えての私たちの祈り」に唱和して、1万5千人以上の犠牲者を偲び、そのご遺族の心情に心を寄せつつ、被災者や原発事故等で全都道府県に移って避難生活を強いられている約34万人の方々を覚えて、神の支えと助けを皆とともに祈った。おりしもその礼拝説教の聖書のみことばは、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神である主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」(ヨハネ黙示録4:8)であった。天上での神をたたえる賛美の礼拝に心を向けつつ、「あれから一年」の日本の東北・関東の地に思いを馳せた。そこは、瓦礫の撤去が大分進んだものの、地盤沈下や液状化現象、土中の塩分や放射能汚染などで今も呻いている。ご遺族や被災者・避難者の苦悩は今も続く。天上の礼拝と地上の現実との落差は何を問いかけるのか。

東日本大震災はこれまでの私たちのあり方や考え方を大きく揺さぶるものであった。「想定外」の出来事として私たちの度肝を抜いた。地は大きく揺れ、大波がこれまで築いてきたものをことごとく飲み込み、放射能は多くの人々を散らした。人間が神であるかのように自惚れ、天地を支配できるかのように考え、人もその地も永遠であるかのように振舞う、私たち人間の「過信と驕り」を改めて突きつけられた。天上での礼拝での賛美は、天地の創造主なる神こそ、他の創造物とは区別される聖なる方なのであり、まさに万物の支配者なのであり、永遠の存在なのだということを「よくよく知れ」と頭をガツンと叩かれたように感じた。痛む人々に寄り添い、ともに労する働きとともに、創造主の神の前に人間はへりくだり、生かされていることを感謝しつつ、この神とともに生きる必要があることを深く探られる礼拝となった。

「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ6:8)

「寄附文化の醸成」

毎週木曜日にはやるべきことがある。それは本学に献金してくださった方々への領収書に一筆添えることである。毎週、30-50口の献金が寄せられ、その教会や企業、個人を思いながら一言書く。多いときには60-70口となる。口数が多い週には「嬉しい悲鳴」を上げる。多くの方々が献金してくださったことへの感謝とともに、一言書くのも実に骨の折れる仕事となるからだ。何年も続けて献金してくださる教会や企業、そして同窓生や教会員がおられること、また、新たにこの献金に加わる方々が起こされていることには、本当に励まされる思いがする。幸いなことに、献金者の多くを知る者として、それぞれの教会を、個々人を思い起こしながらペンを走らせている。本学の教育に対する彼らの期待と祈りをしっかりと受け止めたいと願いながら。

2011年4月に、「東京基督教大学『明日の世界宣教者育成』支援会」(TCU支援会)が発足した。教会と社会にキリストの主権とその救いを伝え表す奉仕者を世界中に送り出す本学の教育を諸教会に知らせ、ご支援をお願いして、キリストの御国の進展という使命をともに担っていただきたいと願うからだ。同窓生や諸教会の賛同を得て、これまでに沖縄地区、福岡・山口地区、広島地区、岡山地区、四国地区、関西地区、名古屋地区、関東地区にTCU支援会が立ち上がった。これから発足しようと準備している地区もある。同窓生が中心となって、本学と各地区の同窓生や諸教会をつなぐ働きを始めている。学術的・人的交流とともに、本学への学生の派遣や経済的な支援を願う次第である。

TCU支援会の発足に伴って本学への献金支援者が増えてきていることは感謝である。「明日の世界宣教者育成」は教会全体の祈りであり責任であることを共有してくださっている。元教員の遺言による本学への献金や召天された同窓生のご遺族からの献金もいただいた。悲しみと痛みを越えて、次世代の御国の働き人育成への祈りと期待がこめられたものとして深く受けとめている。本学への献金は、同じビジョンを共有するところから発し、そこに祈りと期待が込められて、信仰によって献げられていることを思う。ある先輩教員が、「日本にはもっと寄付文化が醸成されなければならない」と言われたことを思い出す。キリストの愛を知った教会こそが寄付文化の魁となりうるし、それがキリスト教の伝統ともなっている。東日本大震災から11ヶ月。多くの支援金やボランティア支援が寄せられている。「人を育て、人を愛しむところ」に、多くの献金(寄付金)が献げられる社会を形成したいものである。

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(2コリント9:7)

「関係を楽しむ」

謹賀新年。昨年暮れから年始にかけて渡米し、久しぶりのゆっくりとした休暇をいただいた。張り詰めていた気持ちをほぐし、気分転換を図った。日本から離れ、娘夫婦が住む南カルフォルニアと恩師が住むシアトルで時を過ごした。日頃、身を置いている現場を離れ、まったく別の空間に自らを置くこと、また、日頃、将来を見据えた計画やその遂行に携わることとは逆に、これまでの出会いをかみ締め、その関係を楽しむことができた。真夏を思わせるロサンゼルスの陽気と寒風吹き荒れるシアトルの天候に両極端を経験し、人生の行路をふと振り返る機会ともなった。昨年は「絆」が色々な意味で注目されたが、これまで培われてきた「絆を深めること」の中で、慰めと励ましをいただく恵みに与った。

「目的志向」型の人間である自分にとって、この年末と年始は「関係」の素晴らしさと大切さを思い起こす日々となった。それが家族であったり、友人であったり、先輩や恩師であったりするわけだが、そのような「関係」が、人に「潤い」を与え、心身の疲れに「憩い」を与えてくれる。そのような関係を持つことこそ、人を人たらしめることなのだろう。ある目標に向かって、ともに労する仲間がいる。ともに乗り越える。ともに泣き、ともに痛み、ともに担って、成し遂げる。目的を完遂するとともに、そこで関係が深められれば幸いだ。働きは一時的だが、関係は長く続くものでありたい。そんな関係を保つことこそ、人を健やかにさせるものなのだろう。

東日本大震災から10ヶ月。復旧や復興という大目標の中で、心身ともに疲れが溜まるときでもある。苦難の日々の中で、被災者や避難者の方々にあっては、新たな出会いや思いもよらぬ道が開かれて、勇気と力を得る経験をされた人も多いのではないだろうか。帰国早々、夕張市が中東カタール国の支援を受けて、岩手、宮城、福島三県の子どもたちと家族700人を「北海道夕張、親子で雪ん子冬のリフレッシュ・キャンプ」に招待したというニュースに触れた。まさに、日頃の苦しい現場を一時離れて、新たな出会いと親子との関係を楽しみ、夕張の人々との触れ合いを通して、渇く現実に「潤い」を、張り詰めた気持ちに「憩い」を与えるものであったに違いない。そのような関係づくりの中で、苦難と厳しい現実に意欲的に向き合う力を湧き上がらせてほしいものである。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(イエス・キリスト、ヨハネ15:9)

「クリスマスと孤独」

クリスマス待降節、今週は三つ目のローソクの火が点った。クリスマスといえば、世界が待ち望む「喜び」、「平和」、「希望」、「救い」という事柄がいつも取り上げられる。ただ、これらのものはイエス・キリストというお方を抜きには考えられないというのが聖書の主張だ。今週は特に、「希望」という事柄に深く思いを巡らしている。12月14日(水)に本学のチャペルで学生会主催のクリスマスチャペルが持たれる。説教者に立てられたのを幸いに、「希望」との関連で、「神、われらとともに(インマヌエル)」としてのキリストを覚えたいと考えている。「ことば(神)は人となって私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)の驚くべき使信を放つイエス・キリストの誕生秘話。毎年のことであるが、深く探られ感慨深い。

妻マリヤの妊娠と「インマヌエル」の使信を受けた夫ヨセフを取り巻く環境は、子を宿す「麗しさ」と「祝福」とは程遠いところにあったことは有名である。いやむしろ、夫ヨセフ以外の者の子を宿したという汚名を着せられるしかない状況が二人を取り巻いていた。「聖霊によって身重になった」マリヤは、それをどう説明していいのか、さらに今後、自分の身に何が起こるか分からないという不安を受入れなければならなかったろうし、当時の姦淫の罪を覚悟しなければならなかったろう。他方、ヨセフもマリヤに対する当初の疑いや不信、そしてそれを越えてマリヤを人々のさらし者とさせまいとする苦悩など、イエス(民をその罪から救う)誕生の裏には両者ともに、神のことばのみを信じて通らねばならなかった「孤独」があったのではないかと推察するのである。

2011年は、東日本大震災によって多くの人々の生活が一変した。被災者の方々や原発事故で避難を余儀なくされている方々はどのようなクリスマスや年末を迎えようとしているのだろうか。思っても見なかった状況に置かれて、復旧・復興が思うように進まず行く末に不安を抱え、原発事故対応も長期戦を迫られる中、遺恨を抱かざるを得ない心境だろうと思う。震災は被災者や避難者だけでなく、日本の社会にも経済にも大きく影響を及ぼし、会社の倒産や失業を加速させている。加えてユーロ圏での債務危機が世界経済に深刻な打撃を与え、社会不安を助長させた。一人一人が「孤独」と、それがもたらす「闇」と向き合わねばならぬ時代の到来と言うことか。神にも人にも不信と敵意を秘める人間の孤独の闇をたった一人十字架で背負い、死者の中からの復活によってそれを克服されるイエス・キリスト。この方の誕生に人類の「希望」があると聖書は語る。一人孤独の中で「インマヌエル(神われらとともに)」。クリスマスが「孤独」の中にいる私たちの希望であることをかみしめたい。

「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。」(マタイ1:23)

 

「クリスマスと孤独」

クリスマス待降節、今週は三つ目のローソクの火が点った。クリスマスといえば、世界が待ち望む「喜び」、「平和」、「希望」、「救い」という事柄がいつも取り上げられる。ただ、これらのものはイエス・キリストというお方を抜きには考えられないというのが聖書の主張だ。今週は特に、「希望」という事柄に深く思いを巡らしている。12月14日(水)に本学のチャペルで学生会主催のクリスマスチャペルが持たれる。説教者に立てられたのを幸いに、「希望」との関連で、「神、われらとともに(インマヌエル)」としてのキリストを覚えたいと考えている。「ことば(神)は人となって私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)の驚くべき使信を放つイエス・キリストの誕生秘話。毎年のことであるが、深く探られ感慨深い。

妻マリヤの妊娠と「インマヌエル」の使信を受けた夫ヨセフを取り巻く環境は、子を宿す「麗しさ」と「祝福」とは程遠いところにあったことは有名である。いやむしろ、夫ヨセフ以外の者の子を宿したという汚名を着せられるしかない状況が二人を取り巻いていた。「聖霊によって身重になった」マリヤは、それをどう説明していいのか、さらに今後、自分の身に何が起こるか分からないという不安を受入れなければならなかったろうし、当時の姦淫の罪を覚悟しなければならなかったろう。他方、ヨセフもマリヤに対する当初の疑いや不信、そしてそれを越えてマリヤを人々のさらし者とさせまいとする苦悩など、イエス(民をその罪から救う)誕生の裏には両者ともに、神のことばのみを信じて通らねばならなかった「孤独」があったのではないかと推察するのである。

2011年は、東日本大震災によって多くの人々の生活が一変した。被災者の方々や原発事故で避難を余儀なくされている方々はどのようなクリスマスや年末を迎えようとしているのだろうか。思っても見なかった状況に置かれて、復旧・復興が思うように進まず行く末に不安を抱え、原発事故対応も長期戦を迫られる中、遺恨を抱かざるを得ない心境だろうと思う。震災は被災者や避難者だけでなく、日本の社会にも経済にも大きく影響を及ぼし、会社の倒産や失業を加速させている。加えてユーロ圏での債務危機が世界経済に深刻な打撃を与え、社会不安を助長させた。一人一人が「孤独」と、それがもたらす「闇」と向き合わねばならぬ時代の到来と言うことか。神にも人にも不信と敵意を秘める人間の孤独の闇をたった一人十字架で背負い、死者の中からの復活によってそれを克服されるイエス・キリスト。この方の誕生に人類の「希望」があると聖書は語る。一人孤独の中で「インマヌエル(神われらとともに)」。クリスマスが「孤独」の中にいる私たちの希望であることをかみしめたい。

「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。」(マタイ1:23)

 

「創立記念日」

「11」が重なるこの日、時を刻む流れの一コマではあるが、そこに生かされ、この日を覚えることができることは幸いである。それぞれに記念とする「日」ないし「時」を人や機関は持つ。それぞれ歴史につながり、それを担うところに置かれているということか。去る11月2日に本学は「創立記念日」として「創立記念礼拝」と「創立記念講演」を持った。今回は、来年2012年度から始まる本学大学院神学研究科設置認可をも記念するものであった。1980年の三神学校合同以来ビジョンとして掲げていた四年制神学大学と大学院構想が、1990年本学の開学、そして、2012年本学大学院の開設という運びとなったわけである。その意味でも、今年の創立記念日の意義は大きい。先達の夢と志を担い、その歩みを続け、その実現を見、その使命をさらに覚えて次世代に託し、委ねる時の営みを深く覚えるからである。歴史を導かれる神を見上げる時でもある。

今回は1980年に新たなビジョンを描き、その実現に苦心され、1990年本学開学に尽力された当時学園理事長の吉持章師を創立記念礼拝説教者に、また、本学初代学長の丸山忠孝師を創立記念講演者にお招きすることができた。吉持師は、「水は見た」(詩篇77:16)と題して、一滴の水にたとえた詩人がイスラエルの上になされた神のみわざを数え上げて御名を賛美していることに倣い、ご自分と学園との関わりを通して、神がなされてこられた数々のみわざ(ジャパン・クリスチャン・カレッジ開学から東京キリスト教短期大学、三校合同から東京基督教大学開学、東京国立から千葉印西へ、チャペル建設、ステンドグラスやベル、国際宣教センター館等)を数え上げられ、導きの神の御名を誉め讃え、「明日に向かって高いビジョンを持ち、ゴールを定め、忍耐強く道を開き、後に来る人々のために強固な鉄路を築いてください」と私どもを励ましてくださった。

続く創立記念講演で丸山師は、「歴史の中で、歴史を越えて福音に生きる」と題して、昨今の世界情勢と日本の現実に触れ、「天災」と「人災」の複合災害に21世紀の人類は直面していることを訴え、歴史の暴力性と歴史に生きることの痛みという今日性の中で「歴史に生き、福音に生きる」意味を解き明かされた。キリスト教歴史観から自然主義的歴史観とその問題を解き起こし、その問題性を歴史の暴力性を自然なこととして慣れさせ、時の経過とともに忘れさせ、人の責任を曖昧とさせて、歴史悲観主義を助長させるものとして指摘された。対してキリスト教歴史観に立つキリスト者として歴史にどう生きるかを解くために、聖書の「ヨブ」に目を止め、歴史の暴力と痛みの中に生きつつも、その特殊な歴史的状況に生きる者を神がどのように見られ語りかけておられるか(「福音」)という神中心の視点に立つことを示唆された。この視点をもって、歴史に生き、時にその暴力と痛みに打ちのめされることがあっても、キリスト者は、復活し神の右に座して歴史と諸権力を統御しておられるキリストを信じてしぶとく、したたかに生きることができるとし、この「歴史を越えて福音に」という視点をもって、時代を見分け、「荒野、寄留者(ディアスポラ)」の存在として、キリスト教精神をもって果敢かつしぶとく時代に挑戦するようにと締めくくられた。実に示唆に富む講演であった。この日は、歴史に生きるキリスト者の意義深さを改めて覚える創立記念日となった。

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ63:9)

「天寿を全うして」

8月の最後の主日である28日の朝、他教会での礼拝説教奉仕のため、武蔵野線の電車に揺られているときに携帯が鳴った。菊池実先生からの三谷幸子先生(東京基督教短期大学名誉教授)召天の報であった。日曜日の午前1時31分に102歳の生涯を全うされて天の御国に凱旋されたとのことであった。そして、その日の夜、午後8時より晩年を過ごされた草加キングスガーデンで葬儀が執り行われると言う。突然の報であったが、奉仕先の教会が同じ方向であったことや、学園関係者への連絡等がスムーズに行って、伊藤天雄事務局長とともに葬儀に参列することができた。

葬儀は「三谷会」の方々が取り仕切られて行われた。司式は三谷先生の所属教会であった日本同盟基督教団中野教会の石川弘司先生、説教は三谷先生と親交の厚かった藤原導夫先生で、ご遺族をはじめ三谷会や草加キングスガーデンの方々の臨席のもとで、三谷クワイヤーの賛美とともに故人を偲び、故人の人生を豊かに導かれた主なる神を覚えた。三谷先生の本学における教会音楽への貢献は大きな宝である。また、三谷幸子奨学金は、現在も学生たちの勉学に大いに用いられている。先生の信仰と音楽への情熱を受け継ぐ卒業生たちで組織する「三谷会」の強い絆を葬儀を通して改めて覚えさせられた。三谷先生の晩年を傍らに寄り添い、しっかりと受け止め支えた草加キングスガーデンの職員が吉野健太郎兄であった。本学の卒業生である。時を越えて、同じ学び舎を共有する二人の日々は、彼の故人の思い出話とともに実に麗しく感じられた。

教会の音楽を指導する働き人の育成も東京キリスト教短期大学と東京基督神学校を経て、本学に引き継がれた。また、入学式、卒業式で特別に賛美の奉仕をするクワイヤーも三谷先生の指導以降、次々と有能な指導者によって受け継がれている。今年から学部の教会音楽副専攻と大卒を対象とする教会音楽専攻科が本学に設置された。礼拝と音楽はかたく結びついている。多様な音楽ジャンルや演奏形態をも受け止めつつ、真の礼拝と賛美のあり方が今後も研鑽され、相応しい教会音楽主事が輩出されることを願っている。ちなみに、三谷会が主催する「三谷幸子先生お別れ会」が来る10月17日(月)午後5時より日本同盟基督教団世田谷中央教会(安藤能成牧師)でもたれる。音楽をもって主に仕え、天寿を全うされた三谷幸子先生を皆で偲びたいものである。 「やさしくとうとく いともちかく、 むかしにかわらず ともにいます。」(讃美歌#300 故人愛唱歌、1ペテロ1:8)

「顔と顔を合わせた絆」

8月29日(月)から始まった秋学期も早くも2週間が過ぎる。まだまだ暑さは続くが、確実に秋の気配がキャンパスに漂っている。桜の葉が落ちてキャンパス内の道路に積もってきた。確実に色づき始め落葉の季節である。夏休み中、学生たちは様々な所に出かけたが、夏期伝道も、海外語学研修も、異文化実習も、東北ボランティアチームも、無事にそれぞれの学びと働きをなし終えて戻ることができた。また、2012年度の開設に向けた牧師養成のための大学院設置認可申請業務も教職員のチームワークで順調に進んだことも感謝である。7月のブログでも書いたとおり、この秋学期には、新しく6名のアジア神学コース(Acts-es)の学生が、インドとジンバブエ、日本から入学した。さらに、短期留学生が米国から10名加わり、キャンパスは急に活気づいている。

今夏、私は「東京基督教大学『明日の世界宣教者育成』支援会」(TCU支援会)の紹介と働きを各地区で、主に本学卒業生を中心に起こしていただくために、福岡、広島、高松、大阪、名古屋、新潟と訪れる機会を得た。特に、千葉キャンパスで学んだ卒業生たちとの再会は、格別に楽しいものであり、彼らの近況と課題に触れて、より身近に彼らを改めて知る時となった。千葉キャンパスを巣立った卒業生は、この20年で大学と神学校併せて800名以上となる。彼らとの再会はまた、本学の歩みを卒業生たちに分かち合い、彼らの時代とのつながりや展開をよく理解してもらう時となる。神学部の中で、牧師養成のみでなく、グローバル社会で人々をつなき、平和と和解に貢献する国際人の養成や、高齢社会となりつつある日本で、キリストの隣人愛と奉仕の精神をもった介護福祉士の養成の必要などを率直に分かち合う中で、本学が目指そうとしているところを懇切丁寧に分かち合うことができる。これもまた学長の大切な仕事の一つなのだと改めて感じた。

それぞれの地域で協力者を得て、支援会の働きが起こされつつあるが、やはり、時間をかけて「顔と顔を合わせた」議論と相互理解がとても大切であることを今さらながらに思う。電子メール、フェイスブック、ツィッター等の発達はすばらしいものであるが、それでもなお、実際に出会って、相互に意見を交換し、表情と仕草からその人の思いを読み取ってゆくことが「絆を深める」大切なプロセスなのだと。これは伝道や牧会の働きにはもちろん、ビジネスの世界でも、家族や隣人との関わりにおいても然りである。短期留学生が一人、一人と学長室を訪ねてくる。それは彼らの日本語授業の一環で、自己紹介を日本語でする練習相手として学長が選ばれたからである。しかし、この出会いは私にとって彼らを知るすばらしい機会となっている。米国同時多発テロから10年、東日本大震災から半年、信念や信仰、ことばや民族、環境や状況、性別や年代等の違いを覚えつつ、「顔と顔を合わせた」出会いと相互理解こそ、「壊れ、破れる」事柄の復旧、復興、修復の大きな力となることを改めて覚えたい。

「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」(1コリント13:12)