総神大学とのシンポジウム「東日本大震災と日韓の教会~救援と復興のヴィジョン~」

再度のお知らせになりますが、7月4日にソウルの総神大学とシン​ポジウムを行います。発表と応答も出そろい、当日は冊子にして配​布の予定です。私は基調講演「東日本大震災と日韓教会」で、関東​大震災の大人災である朝鮮人虐殺を忘れない、韓国強制併合以来の​歴史を忘れない。そして東日本大震災における韓国教会の支援を覚​える、覚えるだけでなく検証することを語ります。総神大学でキリ​スト教倫理の立場からエコロジーを研究されている宋浚仁教授が原​発問題について講演し、TCUの稲垣久和教授が応答します。総神​大学から歴史学の徐要漢教授が日韓の友好と確執の歴史から21世​紀を展望し、私が応答します。冷静に竹島問題を語り、キリスト教​会としての共通認識に至れればと思います。また、日本同盟基督教​団招待キリスト教会の趙南洙牧師が在日韓国教会・韓国人牧師の東​日本大震災における救援活動を総括し、これからの日韓教会の協力​について特別講演を行います。資料として韓国教会の支援活動の概​要のまとめをシンポジウムの冊子に加えています。9:30~4:​40、TCU国際宣教センターチャペル、入場無料。

大学院最初の2ヶ月

大学院は17名の学生を迎え、順調にスタートしました。今学期は、聖書学特殊研究Ⅰ(旧約・新約聖書緒論)木内伸嘉・伊藤明生、聖書学特殊研究Ⅲ(五書研究)木内伸嘉、聖書学特殊研究Ⅶ(新約聖書とその世界)伊藤明生・小林高徳、神学研究の基礎(岡村直樹・他)、神学・教会特殊研究Ⅵ(教会とミニストリー)山口陽一・岡村直樹、神学・教会特殊研究Ⅱ(宗教多元社会と公共哲学)稲垣久和、神学・教会特殊研究Ⅲ(日本キリスト教史)山口陽一、説教演習Ⅰ山口陽一が開講されています。
すでに、学部の二年間で聖書学、組織神学、歴史神学、実践神学の基礎を一通り学んでいますので、これに基づいた、より高度で統合的な、また演習の要素を含んだ学生参加型の講義が行われています。
神学研究の基礎は、5人の教員が各分野における研究の状況や方法を語り、学生は修士論文のテーマを絞りつつあります。
教会の牧師に学ぶ教会教職特別セミナーは、東日本大震災と教会のミニストリーをテーマにすでに2回(佐藤彰牧師「震災で何を見たか」、秋山善久牧師「被災支援と地域宣教ー東北ヘルプの成り立ちと働きからー」)開催しました。
大学院になって(神学校と)変わりましたか?とよく尋ねられます。同じ教室、同じ教師、主眼は教会教職の育成ですから変わりません。しかし、3年過程が4年になりTCU全体と統合した新課程ですから大きく変わりました、とお答えしています。継続と発展を肌で感じる最初の2ヶ月でした。

TCU大学院神学研究科スタート

大学院研究科委員長とし御礼と報告を申し上げます。

17人の院生を迎え、大学院がスタートしました。12人はTCU教会教職課程前期(神学科教会教職専攻)からの進学、3人は神学科および神学科日本宣教コースから進学、2人が大学院入試を経て加えられました。TCUの卒業生と米国でのM.Div.修了者です。
教会教職専攻の3年生が20人、4年生が19人ですから、56人がTCUにおける教会教職課程にいることになります。この大学院の主眼は、高度専門職業人としての教会教職の養成であり、その意味では神学校の継続です。
大学の教授会の中に研究科委員会が置かれ、学部の神学科教員はもとより、国際キリスト教学、キリスト教福祉学の教員とも協力しつつ教育を進めます。「魂への配慮」を職務とする人々、他者と協働できる人々を育てて行きたいと願っています。
昨日まででオリエンテーションも終わり、本日から講義、演習が始まります。キリ神に引き続き、お祈りとご支援をいただければ幸いです。

神学校閉校のご挨拶

「神の栄光と福音宣伝のために、敬虔と奉仕と祈りの生活に専心し、この世と妥協せず、神の御言に忠実に従う伝道者を養成する」これが62年前の「開設の趣旨」です。入学費300円、授業料一学期1,000円。もう一度、入学したいような額です。
この62年の歴史のちょうど真ん中で、当時の日本基督神学校は、東京キリスト教短期大学、共立女子聖書学院と合同し、東京キリスト教学園に統合されました。「3校の協力関係についての趣意書」は、戦後三十年を経た神学教育機関の分立を憂え、「いよいよ力を増し加えつつある世の挑戦に対抗しつつ、次の世代の教会の指導者を養成し、神の栄光をあらわしうるためにはこの歴史的な曲がり角にあたって広く福音主義神学教育機関が協力関係を樹立することが求められていると信じます」と表明しています。
1989年の千葉移転に際して、当時の下川友也校長は次のように書いています。「現在計画中の「四年制・東京基督教大学」が設立された暁には、その入学者が三年次を迎える段階で(1992年の予定)、諸他大学・神学校卒業者は、新大学の三年次に編入の形をとることになり、ここで、神学校と新大学の強力な一本化が果たされるわけです。神学校は、その三、四年課程の教育に全面的に協力するとともに、その上にさらに積み重ねられる伝道者養成課程(2年前後)の専門教育にあたる姿となります」(『東京キリスト教学園のあゆみ』p53)
それから20年かかりましたが、両校の統合に向けての十分な準備の時を経て、この度の閉校、また大学院設置となりました。
この間の卒業生539人は、すでに召された方もおられますが、「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」、それぞれのパトモスにおいて仕えておられます。卒業生が皆、流罪になっているという意味ではありません。そのような覚悟で、遣わされたところで仕えておられるということです。
東京基督神学校は、2012年3月31日をもって閉校いたします。そして、その伝統は東京基督教大学神学科教会教職課程に引き継がれます。
この間、神学校のためにご尽力下さった教職員、理事・幹事・顧問・評議員、学生と同窓会・諸教会の皆様に心から御礼を申し上げます。そして、62年6ヶ月の全行程を導かれた主に感謝しその御名を賛美いたします。
これをもちまして閉校の挨拶とさせていただきます。(3月9日卒業式における閉校式挨拶)

キリ神閉校まであと2日 『基督神学』最終号

『基督神学』最終号が発行されました。

丸山忠孝氏の講演「歴史の中で、歴史を越えて福音に生きる」は、東日本大震災を神の創造と節理の中にある歴史の節目と捉え、「神が」歴史に生きる私たちの痛みをどうご覧になり、語りかけておられるかという福音的視点から考える。キリスト者が「歴史の中で」、隣人の痛みを痛み、自分の十字架を負うべきこと、また「歴史を越えて福音に生きる」者は、終末を摂理の信仰により、摂理に抵抗する勢力との霊的闘争の中で、ディアスポラとして生きるよう語りかける。
朝岡勝氏の「ドイツ告白教会闘争と伝道者養成」は、ボンヘッファーの「共に生きる生活」、イーヴァントの「説教学講義」を通して、神学(教育)が、その本質として国家から独立する所以を説き、今日における神学の学びの心得を語る。
大和昌平氏の「不干斎ファビアン研究(4)」は、『破提宇子』におけるバテレン批判と神義論を検討し、黒住真の論を紹介しつつファビアンの信仰の本質を窺う。氏のファビアン研究の一応のまとめとされるが、ここからの深まりを予感させる論考である。
天田?氏「〈聖書カンタータ〉を作曲して」。バッハに触発され、日本人が日本語で歌うカンタータの作曲思い立ってから三〇年、生み出された七つのカンタータは多くの人に親しまれ歌われつつある。その誕生秘話と込められた思い。是非ご一読を!
油井義昭氏の「イザヤ書6章の『頑な預言』とその展開」は、イザヤの召命記事に続く「頑な預言」の旧約における広がりを確認し、新約における展開を探り、イエスと初代教会の伝道活動において、「頑な預言」が予型論的に成就したことを論じる。
齋藤五十三氏の「ハイデルベルク信仰問答 第一聖日の注解」では、「あなたの唯一の確かな慰めは」、「この確かな慰めの中で喜びいっぱいに生きそして死ぬために」との試訳が示され、全一二九問答の意図に照らしての丁寧な注解がなされている。
青木義紀氏の「ハイデルベルク信仰問答のミサ理解」は、この問答において異例とも言える論争的な第八〇問を一時資料に基づいて検討し、ミサ理解における誤解を認めた北米キリスト教改革派教会とカナダ・アメリカのカトリック司教団の協議の成果を紹介する。
宇内千晴氏「音楽科チャペルの記録」。学園のチャペルは賛美の音楽表現の可能性を探る場でもある。五年間、十二回の音楽科チャペルの記録を読み、一度の礼拝に込められた思いの丈を知らされる。賛美の奉仕者がみことばの奉仕者に望むこと、切々と。

キリ神閉校まであと3日 東京基督神学校の62年6ヶ月

「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」 黙示録1章9節

1949年10月16日、東京基督神学校、杉並区堀ノ内に設立(理事長・渡辺連平、学監・長谷川真)。1950年予科を併設、1951年に日本基督神学校と名称変更(校長J・ヤング)。堀ノ内時代19年間の卒業生は37人(平均2人)、予科の卒業生47人。
1966年、ヤング校長が退任、1968年に東久留米市氷川台へ移転。1966年から73年まで、小畑進、宇田進、A・P・ソルトー、堀越暢治が教授会議長を務め、1974年、同職に就任した丸山忠孝が1980年から校長となり85年に至る。1980年に東京都の専修学校となり、東久留米時代12年間の卒業生は62人(平均5人)。
1980年、国立市に移転。東京キリスト教短期大学、共立女子聖書学院と合同し、東京キリスト教学園に統合された。翌年、校名が東京基督神学校に戻る。国立時代は9年で卒業生は106人(平均12人)。
1986年、下川友也校長が就任、Asia Theological Association(ATA)の学位(M.Div.)授与資格を得る。1989年に千葉県印西市に移転、千葉県の専修学校となり、2000年には音楽科が設置された。2004年に山口陽一が校長となり、2005年、東京基督教大学共立研究所共立研修センターを神学校に移管し共立研修コースとする。2009年、学園理事会は神学校の東京基督教大学との統合を決定、翌年に学生募集停止、東京基督教大学への三年次編入が開始された。印西時代23年間の卒業生は288人(平均13人、内音楽科15人)。62年半の間の本科卒業生は480人、本科修了生12人、予科卒業生47人、計539人である。
2009年の神学校は、神学科教職コース(3年課程 ATA・M.Div.)、神学科共立研修コース(2年課程 ATA・M.A.)、音楽科(3年課程 ATA・M.A.)に在校生57人。教授会は、宇内千晴、大竹海二、柴田敏彦、山口陽一、油井義昭。講師は、朝岡勝、嵐時雄、伊藤明生、伊藤僚、稲垣俊也、岩田三枝子、宇田進、岡村直樹、木内伸嘉、金煥、木森隆、倉沢正則、郷家一二三、小林高徳、櫻井圀郎、清野勝男子、天田?、内藤真奈、飛田喜功、廣橋嘉信、丸山忠孝、松原洋満、三浦譲、水草修治、山田泉、大和昌平、米沢陽子、ランドル・ショートであった。
大学院設置にあたり、校長は研究科委員長(教会教職課程責任者)、大竹海二は教会音楽副専攻と専攻科(教会音楽専攻)主任となり、教務主任の柴田敏彦、宇内千晴は非常勤講師として働きを継続する。油井義昭は退任する。

私たち日本の問題

『福音と世界』2月号に、姜尚中氏と小中陽太郎氏の対談「私とキリスト教」が掲載されている。姜氏が指紋押捺拒否を一年ほど続け、これ以上押さないと逮捕されるという状況で牧師に相談したところ、牧師は「指紋押捺問題の本質は、在日の人が『押す、押さない』ということではなくて、そういう制度を作っている私たち日本にあるのだ」と言い、「それは姜さんが思うようにすればいい」とアドバイスした。姜氏は言う。「私は先生の実践が伴うこの言葉に大変心が動き、ギリギリの段階で指紋を押捺し、洗礼を受けたのです。本当に救われました」。これに小中氏は「なかなか言えない言葉だなあ」と返している。
かつて、在日朝鮮・韓国人が指紋押捺しなければ逮捕されるという事態があり、それを「私たち日本の問題」と受け止めて人権擁護の運動をした土門一雄牧師のような人がいた。姜尚中氏はどんな思いで押捺したか。
今、津波被災地で、福島で、東京・大阪の教育現場で「私たち日本の問題」が進行している。この対談は不定期連載とのことであるが、続きに期待したい。

中村健之介編訳『ニコライの日記』岩波文庫となる

中村健之介編訳の『ニコライの日記~ロシア宣教師が生きた明治日本』上中下、岩波文庫が完結した。中村健之介先生・悦子先生からいただいた3巻本を、まずは拾い読みしてみた。2007年に教文館から全9巻で出版された『宣教師ニコライの全日記』から、特に面白く、歴史的、宗教史的にも重要な記事を厳選してあり、まさに『全日記』のエッセンスであり、しかも読み易い。『全日記』は99,750円もするので、一般の読者にとっては大きな図書館で借りるしかなかったが、これで読者は爆発的に増えるだろう。何しろ面白い。
中村健之介氏が、関東大震災で焼失したと思われていたニコライの日記を、レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)のソ連邦国立中央歴史文書館で発見したのが1979年のことである。中村氏はこれを解読し1994年にロシア語版で日記抄を出版。中村喜和、安井亮平、長縄光男氏の協力を得て2000年には北海道大学図書刊行会から『宣教師ニコライの日記抄』が出版された。私は、2004年に現職となって千葉県キリスト教史研究会を始めてから、克明な注を付した中村氏の「宣教師ニコライ下総巡回日記」(『千葉県史研究』7号、1999年)を驚きもって読んだ。2006年には中村氏をお招きして「ロシア正教と下総の正教徒」という講演をしていただき、『千葉県キリスト教史研究』1号に掲載した。
東京基督教大学の近辺(手賀、大森、木下、草深、多々羅田、船尾、松崎)巡回の日記は、岩波文庫では中巻の冒頭である。北海道から九州まで全国を巡っているので、誰もが身近な地域の記述にふれることができるのではないだろうか。

クリスマスと流山のキリスト教史散歩

流山の平和台恵教会でイブとクリスマスの礼拝の説教をさせていただいた。25日は少し早く着いたので、平和台恵教会の設立者である吉持章牧師から伺っていた、近くの「キリシタン墓地」を訪ねた。墓地に続く路地の入口には「天主公教会墓標」と刻まれた2メートルほどの花崗岩の石柱が立っている。
何ゆえ「キリシタン墓地」であろうかと、いぶかしく思っていたが、「倉科家と墓地の由来」を記した石碑があり、倉科家の系譜を記した後、以下のように結ばれている。「明治七年家禄奉還し土地払下げを受け、改宗により当地を切支丹共同墓地とし末代に残す先駆者たちの信仰の礎となった。この度古文書の調査により判明した。昭和五十七年三月二十日 流山文化財顧問 永井仁三郎」。明治七年以降であれば、天主公教あるいはカトリック公教であって切支丹ではないが、古文書に「切支丹共同墓地」と記してあるとすれば興味深いことである。
自然平石の「本多藩倉科信廣之墓」がそこにあり、信廣の没年は明治37年12月8日である。本多藩は駿河の田中藩であり、徳川家が駿河に移封されたとき安房長尾に移動している。それに先立つ文久三(1863)年に下総の飛び地42か村1万石の陣屋が流山の加村に置かれた。現在流山市博物館があるところである。
本多正訥家臣倉科信廣は、流山の安達盛義伝道士に導かれ、明治14年9月にビィグルース師から洗礼を受けた。当時33歳で一家6人が全員信徒となり、流山における中心的なカトリック信徒となっている(倉科武「東葛地方のカトリック信仰」流山市立博物館友の会『東葛流山研究』25号、平成19年3月20日。瀬下登美子「東葛地方のカトリック布教の歴史」『東葛流山研究』15号、平成8年12月15日)。
明治19年4月に受洗した石井鉄五郎は親分肌で、借金をしても困った人の面倒を見るような人だったという。その長男正蔵はカディヤック師の勧めで和菓子製造を始めたという。現在も流山1丁目に由緒ある店を構える清水屋である。実は、前日旧道を散策した私は、あまりの店構えの良さに魅かれ、そうとは知らずに羊羹を買ったのであった。
墓地の奥のひと際大きい墓石は、流山の特産であった万上味醂製造の堀切紋次郎家のものである(山本鉱太郎「流山の豪商堀切紋次郎家の華麗な系譜」流山市立博物館友の会『におどり』7号、昭和63年7月15日)。
永井仁三郎氏が調査したという古文書には辿りつけなかったが、礼拝前に流山市立博物館の学芸員の方にお願いしておいたところ、帰りには上記の文献をご教示いただいた次第である。
平和台恵教会でのクリスマス礼拝が恵み豊かであったことは言うまでもない。ご子息夫妻からお誘いを受け、基督教独立学園で美術教師をされた日本画家、井崎昭治の展覧会を鑑賞したが、まことにすばらしい心象風景を堪能させていただいた。その後、市川の教会に戻り、ハワイからの宣教チームと共に駅前でキャロリングをして今年のクリスマスを締めくくった。

大学院設置認可

本日、2011年10月25日、東京基督教大学大学院の設置が認可されました。すでに昨年度から東京基督神学校は募集を停止し、教会教職を志願する大卒者の東京基督教大学3年次編入による教会教職課程が始まっています。2012年3月には最後の卒業生を送り出して東京基督神学校は閉校し、東京基督教大学の大学院がスタートすることになりました。
この大学院は牧師をはじめとする教会教職者の養成を主眼としています。器は神学校から大学院に変わりますが教育のめざすところは同じです。8人の専任教員は、聖書学部門が木内伸嘉、R・ショート、伊藤明生、小林高徳、神学・教会部門がS・フランクリン、稲垣久和、岡村直樹、山口陽一です。設置認可を受け、教会教職課程の責任者である私が暫定研究科委員長として、さらなる準備を進めます。
3年間の神学校課程は、4年間の教会教職課程に拡充されます。学部では聖書語学をはじめ神学各部門をみっちりと、大学院では福音主義の聖書学と神学を実践的に学びます。グローバル化し複雑化した現代の教会と社会に仕えるため、学部のキリスト教リベラル・アーツ、異文化理解、キリスト教福祉学を生かした教会教職の育成をめざします。定員は18名、大半は内部進学しますが、大学院でも学生募集をいたします。
神学校はあと半年で閉校しますが、62年間の実績はそのまま4年間の教会教職課程・大学院に受け継がれます。8人の専任教員の内5人は東京基督神学校の卒業生です。卒業生の皆様には、東京基督神学校を統合した東京基督教大学を母校として引き続きご支援いただきたくお願い申し上げます。
ここまで支えて下さった皆さまに心から感謝いたします。これからもご支援下さいますようお願い申し上げます。