4月11日大学院チャペル黙示録12章「女と竜」

女と竜

黙示録12章1~18節

 

11章では、聖所を測る幻の後、二人の証人が殉教し復活する、つまり苦難の中で守られて証言を続けるという幻が示されました。そして、15節で第七のラッパ、終わりのラッパが吹き鳴らされると、天に大合唱が起こり、「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される」と神を賛美します。ついで17節では、二十四人の長老たちも神を礼拝して言います。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します」。

黙示録の幻は繰り返されています。七つの封印が解かれる、これが一つのサイクル、次いで七つのラッパが吹き鳴らされる、そして最後に七つの鉢がまけられる。このように、神の裁きと救いの完成、神の民の試練と恵みが、繰り返し語られます。これらの啓示は、2~3章に記された小アジアの7つの教会への使信と関係していますし、聖書の啓示の頂点に位置付けることができます。

11章から13章にかけては42か月、1260日、「3年半」という苦難の期間が示されます。これは長い苦しい期間です。しかし、「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる」と言われた「千年」と比べれば、ほんのひと時に過ぎません。

さて、11章の「二人の証人」は代々の教会のシンボルでしたが、今日の12章では、教会は子を産む「女」として登場し、「竜」サタンと戦います。

 

  • 女と竜(1~6節)

 

1~2節「また、巨大なしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた」

壮大なしるしです。「太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶる」。「太陽を着て」、とは光を纏っているのでしょう。この「女」は、旧約・新約の神の民、教会のシンボルです。神の民の苦難の歴史の中で、約束のキリストが生まれます。新約の教会の苦難の歴史の中でキリストが再び来られます。

3~4節「また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。」

天に現れたしるしは、その目に映るスケールも壮大ですが、内容も壮大です。この聖書全体における神の民とサタンの闘いを示しています。

ダニエル書8章10節には「それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つか地に落として、これを踏みにじり」とあります。

5~6節「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった」

キリストのことですね。そして、その昇天後の教会の苦難、しかし、その中での守りです。

 

  • 投げ落とされる竜(7~12節)

 

7~8節「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたち応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。

ダニエル12章1節には、「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる」

9節「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた」

「竜が投げ落とされる」ことには3つの局面があります。

  • 創造における転落 イザヤ14章12、15節
  • イエスの公生涯における転落 ルカ10章18節
  • キリストの来臨における転落 黙示録20章10節

10~12節「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。』」

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った」。教会の勝利は、無力と思われるものの力によります。「小羊の血」と「自分たちの証しのことば」のゆえの勝利なのです。

黙示録は、最初から「小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに」生きる者へのことばでした。1章9節、そしてスミルナの教会へのことばも聴きましょう。3勝10節です。

 

  • 怒る竜(13~18節)

 

13~18節「自分が地上に投げ落とされのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は大鷲の翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。すると、竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たちと戦おうとして出て行った。そして、彼は海べの砂の上に立った。」

そして13章へと続くことになります。

竜、サタンの怒り、恐ろしいことです。しかし、それも苦し紛れの、断末魔の反抗に過ぎません。それは「一時と二時と半時の間」という限られた期間です。

ダニエル書12章7節「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する」

6節と14節は、荒野での守りを語ります。

クリスチャンおよび教会は、ここにこの世における苦しみの意味を知るのです。つまり、それは荒野での養いです。困難や苦しみも神の許しなしには起こりません。人はそこにいる時、なぜこのような困難が、と思うでしょう。しかし、困難の中でこそ神の守りは明らかとなるのです。

 

終わりに

 

サタンについて軽率なことを言うべきではありません。これはサタンの働きだとか断定することは危険なことです。しかし、今日のグローバル化した世界において、経済も政治も巨大なシステムに組み込まれ、思うようにならない方向にひかれてゆくということがあるように思います。そして、その背後に悪しき霊、サタンの働きがあるということは覚えておかなければなりません。地に落とされたサタンは、怒り、最後のあがきをしています。

しかし、最終的な、圧倒的な勝利は神と神の民にあります。また、主の民は荒野に逃れるというような経験をすることがあります。しかし、神はそこに私たちを養う場所を用意しておられるということは確かなことです。私たちの日常はそこにあるのです。