キリ神閉校まであと2日 『基督神学』最終号

『基督神学』最終号が発行されました。

丸山忠孝氏の講演「歴史の中で、歴史を越えて福音に生きる」は、東日本大震災を神の創造と節理の中にある歴史の節目と捉え、「神が」歴史に生きる私たちの痛みをどうご覧になり、語りかけておられるかという福音的視点から考える。キリスト者が「歴史の中で」、隣人の痛みを痛み、自分の十字架を負うべきこと、また「歴史を越えて福音に生きる」者は、終末を摂理の信仰により、摂理に抵抗する勢力との霊的闘争の中で、ディアスポラとして生きるよう語りかける。
朝岡勝氏の「ドイツ告白教会闘争と伝道者養成」は、ボンヘッファーの「共に生きる生活」、イーヴァントの「説教学講義」を通して、神学(教育)が、その本質として国家から独立する所以を説き、今日における神学の学びの心得を語る。
大和昌平氏の「不干斎ファビアン研究(4)」は、『破提宇子』におけるバテレン批判と神義論を検討し、黒住真の論を紹介しつつファビアンの信仰の本質を窺う。氏のファビアン研究の一応のまとめとされるが、ここからの深まりを予感させる論考である。
天田?氏「〈聖書カンタータ〉を作曲して」。バッハに触発され、日本人が日本語で歌うカンタータの作曲思い立ってから三〇年、生み出された七つのカンタータは多くの人に親しまれ歌われつつある。その誕生秘話と込められた思い。是非ご一読を!
油井義昭氏の「イザヤ書6章の『頑な預言』とその展開」は、イザヤの召命記事に続く「頑な預言」の旧約における広がりを確認し、新約における展開を探り、イエスと初代教会の伝道活動において、「頑な預言」が予型論的に成就したことを論じる。
齋藤五十三氏の「ハイデルベルク信仰問答 第一聖日の注解」では、「あなたの唯一の確かな慰めは」、「この確かな慰めの中で喜びいっぱいに生きそして死ぬために」との試訳が示され、全一二九問答の意図に照らしての丁寧な注解がなされている。
青木義紀氏の「ハイデルベルク信仰問答のミサ理解」は、この問答において異例とも言える論争的な第八〇問を一時資料に基づいて検討し、ミサ理解における誤解を認めた北米キリスト教改革派教会とカナダ・アメリカのカトリック司教団の協議の成果を紹介する。
宇内千晴氏「音楽科チャペルの記録」。学園のチャペルは賛美の音楽表現の可能性を探る場でもある。五年間、十二回の音楽科チャペルの記録を読み、一度の礼拝に込められた思いの丈を知らされる。賛美の奉仕者がみことばの奉仕者に望むこと、切々と。