「創立記念日」

「11」が重なるこの日、時を刻む流れの一コマではあるが、そこに生かされ、この日を覚えることができることは幸いである。それぞれに記念とする「日」ないし「時」を人や機関は持つ。それぞれ歴史につながり、それを担うところに置かれているということか。去る11月2日に本学は「創立記念日」として「創立記念礼拝」と「創立記念講演」を持った。今回は、来年2012年度から始まる本学大学院神学研究科設置認可をも記念するものであった。1980年の三神学校合同以来ビジョンとして掲げていた四年制神学大学と大学院構想が、1990年本学の開学、そして、2012年本学大学院の開設という運びとなったわけである。その意味でも、今年の創立記念日の意義は大きい。先達の夢と志を担い、その歩みを続け、その実現を見、その使命をさらに覚えて次世代に託し、委ねる時の営みを深く覚えるからである。歴史を導かれる神を見上げる時でもある。

今回は1980年に新たなビジョンを描き、その実現に苦心され、1990年本学開学に尽力された当時学園理事長の吉持章師を創立記念礼拝説教者に、また、本学初代学長の丸山忠孝師を創立記念講演者にお招きすることができた。吉持師は、「水は見た」(詩篇77:16)と題して、一滴の水にたとえた詩人がイスラエルの上になされた神のみわざを数え上げて御名を賛美していることに倣い、ご自分と学園との関わりを通して、神がなされてこられた数々のみわざ(ジャパン・クリスチャン・カレッジ開学から東京キリスト教短期大学、三校合同から東京基督教大学開学、東京国立から千葉印西へ、チャペル建設、ステンドグラスやベル、国際宣教センター館等)を数え上げられ、導きの神の御名を誉め讃え、「明日に向かって高いビジョンを持ち、ゴールを定め、忍耐強く道を開き、後に来る人々のために強固な鉄路を築いてください」と私どもを励ましてくださった。

続く創立記念講演で丸山師は、「歴史の中で、歴史を越えて福音に生きる」と題して、昨今の世界情勢と日本の現実に触れ、「天災」と「人災」の複合災害に21世紀の人類は直面していることを訴え、歴史の暴力性と歴史に生きることの痛みという今日性の中で「歴史に生き、福音に生きる」意味を解き明かされた。キリスト教歴史観から自然主義的歴史観とその問題を解き起こし、その問題性を歴史の暴力性を自然なこととして慣れさせ、時の経過とともに忘れさせ、人の責任を曖昧とさせて、歴史悲観主義を助長させるものとして指摘された。対してキリスト教歴史観に立つキリスト者として歴史にどう生きるかを解くために、聖書の「ヨブ」に目を止め、歴史の暴力と痛みの中に生きつつも、その特殊な歴史的状況に生きる者を神がどのように見られ語りかけておられるか(「福音」)という神中心の視点に立つことを示唆された。この視点をもって、歴史に生き、時にその暴力と痛みに打ちのめされることがあっても、キリスト者は、復活し神の右に座して歴史と諸権力を統御しておられるキリストを信じてしぶとく、したたかに生きることができるとし、この「歴史を越えて福音に」という視点をもって、時代を見分け、「荒野、寄留者(ディアスポラ)」の存在として、キリスト教精神をもって果敢かつしぶとく時代に挑戦するようにと締めくくられた。実に示唆に富む講演であった。この日は、歴史に生きるキリスト者の意義深さを改めて覚える創立記念日となった。

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ63:9)