「クリスマスと孤独」

クリスマス待降節、今週は三つ目のローソクの火が点った。クリスマスといえば、世界が待ち望む「喜び」、「平和」、「希望」、「救い」という事柄がいつも取り上げられる。ただ、これらのものはイエス・キリストというお方を抜きには考えられないというのが聖書の主張だ。今週は特に、「希望」という事柄に深く思いを巡らしている。12月14日(水)に本学のチャペルで学生会主催のクリスマスチャペルが持たれる。説教者に立てられたのを幸いに、「希望」との関連で、「神、われらとともに(インマヌエル)」としてのキリストを覚えたいと考えている。「ことば(神)は人となって私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)の驚くべき使信を放つイエス・キリストの誕生秘話。毎年のことであるが、深く探られ感慨深い。

妻マリヤの妊娠と「インマヌエル」の使信を受けた夫ヨセフを取り巻く環境は、子を宿す「麗しさ」と「祝福」とは程遠いところにあったことは有名である。いやむしろ、夫ヨセフ以外の者の子を宿したという汚名を着せられるしかない状況が二人を取り巻いていた。「聖霊によって身重になった」マリヤは、それをどう説明していいのか、さらに今後、自分の身に何が起こるか分からないという不安を受入れなければならなかったろうし、当時の姦淫の罪を覚悟しなければならなかったろう。他方、ヨセフもマリヤに対する当初の疑いや不信、そしてそれを越えてマリヤを人々のさらし者とさせまいとする苦悩など、イエス(民をその罪から救う)誕生の裏には両者ともに、神のことばのみを信じて通らねばならなかった「孤独」があったのではないかと推察するのである。

2011年は、東日本大震災によって多くの人々の生活が一変した。被災者の方々や原発事故で避難を余儀なくされている方々はどのようなクリスマスや年末を迎えようとしているのだろうか。思っても見なかった状況に置かれて、復旧・復興が思うように進まず行く末に不安を抱え、原発事故対応も長期戦を迫られる中、遺恨を抱かざるを得ない心境だろうと思う。震災は被災者や避難者だけでなく、日本の社会にも経済にも大きく影響を及ぼし、会社の倒産や失業を加速させている。加えてユーロ圏での債務危機が世界経済に深刻な打撃を与え、社会不安を助長させた。一人一人が「孤独」と、それがもたらす「闇」と向き合わねばならぬ時代の到来と言うことか。神にも人にも不信と敵意を秘める人間の孤独の闇をたった一人十字架で背負い、死者の中からの復活によってそれを克服されるイエス・キリスト。この方の誕生に人類の「希望」があると聖書は語る。一人孤独の中で「インマヌエル(神われらとともに)」。クリスマスが「孤独」の中にいる私たちの希望であることをかみしめたい。

「『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。」(マタイ1:23)