「つなぐ」

 前身校と本学併せて44年間奉職された天田繫先生が、去る11月17日(土)に74才で主のもとに召された。先生の生涯は、音楽、特に、教会音楽を通して多くの人々を富ませるものであった。秋学期最後のチャペルで、「みないっしょにいて」と題してメッセージしたときに、天田先生を思い起こして次のように語った。「私も大学時代からクワイアで教えられました。クワイアは集まらなければ何もできません。集まってもてんでバラバラに声を出していては騒音で終わってしまいます。ユニゾンでは互いの声を聞きつつ、心と思いと声を一つにしなければならないでしょう。混声四部合唱ではそれぞれのパートを保ちつつ、適切なハーモニー(和声)とならねばなりません。指揮者は、それぞれを『みないっしょに』とする力量が要求され、しかもすばらしい和声となるようその芸術性が求められるのでしょう。『みないっしょに』のために『それぞれをつなぐ』存在が指揮者であるように思います。天田先生は、音符の読めない私のような者を上手に歌わせ、歌う楽しさを引き出し、他の人の声とマッチングしてくれた、つないでくれた存在であったと思います。」

 グローバル化にあって、言語も文化も違う人々の交流が自国においてもさかんとなった現代は、人と人との結びつきも多様化し、またそれ故に誤解と軋轢が生じやすくなった。相手を自分のこれまでの考え方や生まれ育ったものの見方で性急に判断することに一呼吸置き、まずは謙虚になって相手がどうしてそのような「ことば」を発し、態度を取るのかを読み解いていく姿勢と度量が試される。そして、相手の持ち味を活かしつつ、それでも「今ここで」は適切でないことも示して相互に理解し合ってゆくことがどれほど求められているかと思う。誤解と軋轢が増せば増すほど、この役割を担う「つなぎ手」が必要になってくる。それぞれを活かしつつ、しかも調和(ハーモニー)のとれたものとなす働きほど、グローバル化し多様化する21世紀に必要なものはない。

 今年もクリスマスを迎える時期となった。考えてみれば、クリスマスの主人公であるイエス・キリストという御方は、まさにこの「つなぎ」を完璧なほどに成し遂げてくださった方なのだと改めて思う。創造主なる神に背を向けて神と敵対関係にあるわれわれ人類を、神に「自らのいのちをもってつながれた御方」がキリストであった。彼の誕生、その生涯、そして、最後の「十字架と復活」がこの「つなぎ」を確かならしめた。さらに、いのちを注ぎ出すほどの彼の愛に感動する人々を起こし、互いをつなぐ「つなぎ手」として人間関係において用いてくださる。クリスマスを喜ぶ人々の中で、この使命に生きる人々が起こされてくることこそ、現代日本の希望であると思わざるを得ない。教会音楽という分野で人々を堅くつないだ天田先生を偲ぶ本学の「クリスマス・コンサート」が12月14日(金)午後7時に本学チャペルで開演される。

「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)